二章 欠陥だらけの殺戮人形(キリングドール)-3

 そして気づけば、μ(ミュウ)の目の前まで彼は肉薄していた。
「っ!」
 今までにない速さに、反応し切れなかった。
(いや、違う)
 即座に頭が否定した。
(今まで、本気で動いていなかった――ッ!?)
 腹に砲撃のような蹴りを受け、μはまともに吹き飛んだ。
 
「がっ、ぁあああああああああああああああ!?」
 広い敷地の端まで吹っ飛び、舗装を大きく削りながらμの体は止まる。
 
「――、ぅ……!」
 がくがくと体が震える。衝撃を受けた頭が、全身が、警報をガンガンと制御中枢にたたきつけてくる。
(立て! 立たないと、早く立たないと、相手に抜かれる! 後ろに行かれたら、博士が……!)
「……っ」
 腕をついて身を起こすと、揺れる視界の中に、遠くに傭兵の影が映った。
「おいおい、まだやるのか? 頑丈さだけはピカイチだな」
 心底馬鹿にして、侮り切った声が響く。
「ま、おまえをじっくりスクラップにしてから、博士を迎えに行ってやるよ。――どうせ、俺がいなくても、護衛が剥がれた人間一人、機械兵器の数さえそろえればどうとでもなる」
 そこで一旦言葉を切ると、ドリウスは地を蹴った。一瞬の間に距離を詰めたかと思えば、μの胸郭を機械人間の法外な脚力で踏みつけた。
「無駄な足掻きご苦労さんってこったなぁ!」
「ガ、ァッ――!?」
 体の中の機関がぐしゃりと歪む音がした。警告。警告。頭の中を赤いエラーが埋め尽くす。嫌な軋みを上げてどんどん胸が平たくへしゃげていく。
「ぎ、ぐっ……!」
 手を、胸を踏みつけている足に回した。一本一本の指で、足を胸から引き剥がそうと、それが叶わなくともこれ以上の圧力を加えられぬようにと、か細い抵抗を続ける。
「まだ抵抗すんのか、面倒くせえなぁ……さっさとくたばりやがれ」
「ぅっ! ぇぐっ!」
 ガン! ゴン! と、何度も強く踏みつけられる。
 だが、手指がへしゃげても、心臓部だけは死守すると、なけなしの力で受け止め続けるμに、業を煮やしたようにドリウスは唇の端を曲げてみせた。
 そして、次の瞬間、怪訝そうに眉を潜めた。
 
「……、………………ぁ?」
 
 そして、μは、気づいた。
 
 ひび割れた胸郭から――蒼白い光が漏れ出ていた。
 わずかな異常にただならぬものを察知してか、ドリウスは瞬時に跳びすさった。
 
「何だ……、自爆機能でもついてやがったか!?」
「…………?」
 
 μは胸を押さえながら、ふらふらと、よろよろと、本当にやっとのことで立ち上がった。足に力が入らない。少し伝達が弱くなったか、必要なエネルギーを回す経路に異常でも出たか。
 胸からの光は強くなり続けている。原因は心臓部で生み出されているエネルギーのプラズマ化だと思うのだが、問題は、それほどのエネルギーを今生み出せるほどの状態では明らかにないということだった。こんなへしゃげた胸郭でよくぞ回っていると感心こそすれど、ここまでエネルギーを引き出せるわけがない――。
 
 ――だけど、今は、それどころではないから。
 
 膝を曲げた。大地を蹴った。
 すると、μ自身が驚くほどの速度で、ドリウスに近づいた。
 
「何ッ!?」
 
 出力上昇。それだけではない。
 『おそらく、相手は右後方に回避する』――。砲弾のような突撃を紙一重で(かわ)したドリウスに、ぴったりとμはついて回る。
 
「くそがっ!」
 
 腕を構えて行う機銃掃射。だが、『これは撹乱(かくらん)に過ぎない』。少し体を反らせば、『計算通り』に、銃弾がすべてμの脇を通り過ぎていく。
 ならばと相手が振り上げた足の上にとんっと乗ったμは、そのままドリウスの動きに合わせて空へ飛び上がって優雅に宙を泳ぐと、すとんとあっさり彼の背後を取った。
「何だとぉ!?」
「――ぁあああああああっ!」
 裂帛(れっぱく)の声と共に、全く無駄のない動作で綺麗に繰り出された返礼の蹴りが、ドリウスの鳩尾(みぞおち)を正確に捉える。響くは轟音。重い機械仕掛けの体を、暴風に巻かれた紙切れの如く背後へ吹っ飛ばした。強烈に過ぎるヒットバック。今度はドリウスが背中に土をつける番だった。
 まともにごろごろと転がっていく途中で、体を跳ね上げて起こした彼は、よろけて膝をついた。
 それなりに痛めつけたはずだ。損傷を抱え、あまり大きく動けないはずのμが、最低動作で何もかもを捌き切る。あまつさえ今までにない動きで脅威の一撃を加えてくる姿に、戦慄を覚えたのはドリウスの方だっただろう。
 
『【MASS ORDER THREDDING – HYPER EXPAND and RESONANSED】――大規模演算高拡張共鳴。略して【MOTHER】。世界最大最速の演算システムの後援を受けたアンドロイドの動きはどうだい、ドリウス(なにがし)
 
 宙に響いた声に、ドリウスがさらに驚倒して仰け反った。μも唖然とした。
「!? ヴァーチン博士!? 何だ、どこから声がしてやがる!?」
 
『うん、μのシステムをちょっと流用して、〝どこでも遠隔スピーカー〟を即興で作ったんだよね』
「人の、体を……、何に、使って、くれてるん、ですか……」
『うわ、大丈夫かい、めちゃくちゃ辛そうな声が聞こえるけど……』
 μは黙った。多分ないと思うが、まかり間違っても逃がしたはずの護衛相手に戻ってこられるなんて、アンドロイドとして屈辱である。
 
『今ので分かっただろうけど。戦闘型アンドロイドはMOTHERの後援を受けた状態なら、エント最新の機械化支援を受けた君をも圧倒する。――加えて、君が戦ったμは、事情があって非武装だ』
 
 エメレオののんびりとした解説が後半に移って行くにつれ、ドリウスの表情は焦燥を滲ませたものへ変わっていった。
 だが、傭兵はそれでも傲岸(ごうがん)(わら)う。
 
「――なるほど、ヴァーチン博士。シリーズでこれほど凶悪な組み合わせをしてくるとは、さすがはあんたの開発したアンドロイドだった、ってとこか。……だが、相手を殺せない軟弱な性格だけは設計ミスだなぁ」
『……!』
 
 声の向こうで、エメレオが口を曲げた気配がする。ドリウスは汗を滲ませながらも笑みを止めない。
 
「そちらのご自慢の【MOTHER】の支援を受けなくとも、こいつは俺を殺せたろうさ。その気になってさえいりゃあ、互角以上の戦闘ができたはずだ。……だが、結果はご覧の通り。後援がなきゃ、俺と引き分けることさえできない、ただの意気地なしだ」
「……ッ」
 
 μは歯がみした。
 そうだ。
 
 μには――自分には、どうしたって、人を殺せない。その覚悟がない。
 何をしても、それをしてしまえば、自分はただの殺戮人形(さつりくにんぎょう)。役割を全うし、仕事に明け暮れてしまえば、自分は大事なことを見失う。そうして、いつか、取り返しの付かないことになるのではないか。そんな、アンドロイドにあるまじき『恐怖』と『忌避感』が、μの根幹を支配していた。心の内にあるひたすらに白い衝動が、自分をただの殺戮人形になり下げることを拒否していた。
 致命的な欠陥――いいや、欠陥だらけだ。
 そんな殺戮人形は、人類の目的のためには存在していてはいけない。
 
 だが、ここに至れば、そんなことは関係ない。
 決別する時だ。今までの、自分という形の在り方に異を唱える心を殺す日が、ついに来たのだ。
 だから。
 
「――申し訳ございません、博士」
『いや、謝る必要はないよ。だってそういう風に作られたのは、すべて僕とMOTHERの設計通りだからね』
「……え?」
「は?」
 
 だから、エメレオが全く驚きも失望も、怒りさえせず、計算通りだと答えた事実に、時が止まった。
 ドリウスでさえ、全く予想外だと、虚を突かれた顔をした。
『――大丈夫だ。μ。君は、何も心配する必要はない。すべてはあるべき場所に至るように作ってあるんだから』
「…………博、士?」
 呆けた。
 彼の言う意味が、また、何も分からない。
「――は、は。ははははははははははは! 何だそりゃ、何だそりゃあ!? こんな馬鹿げた話なんて聞いたことないぜ!?」
 けたたましい笑い声を上げたのはドリウスだった。
「人も殺せない兵器が設計通りだってよ! そんなの聞いたこともねぇ! 軍のお偉いさんは、なんつーもんを作ってくれたと頭を抱えるに違いねぇ――最も……あんたが生きてそのお偉いさんに顔を合わせられるかは、話が別だがなぁ」
『! げっ、別働隊!? 何ソレ、全部僕に向けてたってのかぁ!?』
 エメレオの声が焦燥を(はら)む。同時に、彼の背後で砲声が炸裂しているのが聞こえてきた。『うわあああああああ!?』とかいう情けない悲鳴も。
「博士!?」
「さあ、形勢逆転だ――今度は俺が時間を稼ぐ番のようだなぁ、ガール」
 行かせねえよ、とドリウスが腰を落とした。
「構えろ。今度こそ殺し合いと行こうじゃねぇか」