二章 欠陥だらけの殺戮人形(キリングドール)-2

 アンドロイドにもフレーバーとしての個性はある。しかし、μ(ミュウ)たちほど癖や個性を発現したアンドロイドは他にはいないと、施設の技師たちから聞いたことがある。警護任務に着くタイプのアンドロイドは何度か学習訓練で見たことがあるものの、これほど強い目や覇気は持たないはずだ。μはこっそりと、男の様子をうかがった。
「――ずいぶん熱い視線をくれるな、ガール」
「!」
 口を開いた彼に、μは少し驚いた。
「気づかれてないと思ってたかい? お手本みたいな型どおりの動きだから、すぐに分かっちまったよ」
「……失礼いたしました」
 目を伏せて謝罪しながら、内心首をかしげる。喋りに妙な訛りがある。
(……アンドロイドなら訛りがあるのは妙だ……もしかして、生体の大部分を機械で代替したサイボーグ人間?)
「あの。もしかして、エントの方ですか」
 ぴゅう、と口笛が鳴った。
「正解だ。何で分かった?」
「見た目から、我が国で多く見られる人種ではないことは言わずもがな。あとは……訛り、です」
「すげぇな、少し話しただけで当てるとは。さすがシンカナウスの、いや、ヴァーチン博士の技術というべきか? どっから見ても人間にしか見えないが。……いや、やっぱおまえはアンドロイドだな、ガール。まだまだ表情が硬い」
 ニヤニヤと笑う男に、μはますます眉が寄る。――何かが嫌な男だ。得体の知れない予感を覚えて、μの体の中の温度が少し下がったような気がした。
「ドリウスだ」
 右手が差し出される。μは眉を寄せながら、渋々握手をした。
「ガール、そんなに怖い顔をするもんじゃない。俺は今でこそこんな体だが、これでもエントでは名の知れた傭兵さ」
「……傭兵の方が、どうしてこんなところに?」
「うん、そりゃ、秘密の話をしにきた高官の護衛に決まっているだろう? 分かるだろう、ガール」
 ちらりとエメレオを見る。先ほどから聞こえてくる会話の断片からすると、物騒な会合と言ったことの正体が分かる。
「……軍事演習に関する打合せが?」
「エント軍とシンカナウス軍での共同演習だ。このあたりの海で行う予定でね、今日はアンドロイドも投入しての演習が可能かどうか、技術的に相談したくて、あんたの生みの親に相談しにきたって訳さ」
「……」
 エント。知識の中では、確か、シンカナウスの技術者たちと共同で何か兵器の軍事開発をしている国だという話だったが。
 それにしても、さっきから何かがぴりぴりとする。首の後ろを灼くような、何かが。
「μ」
 エメレオがこちらを呼ぶ声がした。
「ちょっと実地で見ないといけなくなってね。海沿いの三十四番基地まで移動するそうだ。来てくれるかい」
「――はい、ただいま」
 結局、首のちりちりとした違和感の正体は分からぬまま、μはエメレオに追従しようとして――
 
 
「――待て」
「へぇ、まさか止められるとは思わなかった」
 
 
 エメレオの背へ伸ばされた、ドリウスの手をつかんでいた。体の陰に隠れて見えないが、空気中に漂うのは、即効性の薬剤の成分だ。人間の意識を数秒で刈り取るには十分な代物である。
 何を言うこともなく、μは素早くドリウスを投げ飛ばした。役人だといったグループの視界や動きを制限できれば、それでいい。
「ミュ――ぐほっ」
「行きますよ、博士」
 ぽかんとしている間抜け顔の優男の腹に、肘をひっかけて抱え上げる。
「ごふっ、ちょ、いいところに入ったんだけ――」
「舌噛んで死にたいならしゃべっていいですよ」
「ごめん」
 鉄製の脚のテーブルを磁力で浮かせ、さらに周囲を撹乱(かくらん)。豪速でホールのガラスにぶつけた。派手な音をたててガラスが弾け飛ぶ。破片の雨を追い越して吹き散らすように突っ切ると、遠隔で発進信号を送信しておいた車がやってきた。その中に、開いたルーフの上からエメレオを(できる限り力加減をして)突っ込んだ。
 シートの上でもんどり打って転がるエメレオに言い放つ。
「――逃げてください、博士。どうやらエントはあなたの身柄が欲しいみたいです」
「ああ、知ってる」
 μが片眉を上げると、息を整えていたエメレオは苦笑した。
「十年来の友人兼護衛に、向こうへの亡命を打診されてね。僕は嫌だと言ったら、殺されかけて、逃げたんだ」
 ああ、だから。それで昨夜、彼は急いでやってきて、MOTHERに助けてほしいと言ったのだ。事情を漠然と察しながら、μは一言だけ発した。
「――ご愁傷様です」
 ルーフを閉めると、μは振り向いた。車が慌ただしく発進するのを背にして、突っ込んできたドリウスの重い突進を受け止める。およそ人間が発揮できる速度ではない。ガン!と鐘楼を割るような金属音があたりに鳴り響いた。
「けっ、無傷かよ。大層丈夫な体してんじゃねぇか。こちとら十数年改造を重ね、Gにも衝撃にも強くしたってのによ。たった数年で開発されたアンドロイドに先を超されちゃ、俺の体が泣いちまわぁ」
「……あなたの苦労話なんか知ったことじゃない……!」
 受け止めた腕がぎちぎちと軋みを上げた。機械化されているせいか、出力だけならアンドロイドにも迫る勢いだ。
「つれねぇなぁ、ガール。若いんだから、ちったぁおっさんの話に付き合ってくれや――なァ!」
 吼えるような笑い声。それが開戦の合図となった。
 
 
 *
 
 
「っ、μ――!」
 エメレオは急発進した車の座席から身を起こし、耳をつんざくような轟音(ごうおん)に一瞬肩をすくめた。
 ルームミラーに手をかざして角度を調整し、背後を確認すれば、遠ざかる景色の中、ぶつかり合った二人の人影が見える。
 ひとまず、しばらくは持ちこたえそうだが――。考えたエメレオは軽く首を振り、車の通信装置と自分の懐に入れていた端末を接続した。
「――〝パペット〟だ。当初想定されたとおり、獲物が釣れた。かなり暴れている」
『了解。押さえ込むために増援を送り出している』
「急いでくれ。他にもまだいるかもしれない」
 通信相手――国家保安局の局員に頼みながら、エメレオは目を伏せた。
 
(――すまない、μ)
 天才科学者、エメレオ・ヴァーチンを(おとり)にした、敵性勢力のあぶり出し。最初は、連絡をしてきたMOTHERの発案だった。
(『おそらく、向こうには「時間がない」のではないか、と思うのです』)
 記憶の中で、MOTHERの声が蘇る。
(『期限が決まっているからこそ、その前に、できるだけ収穫できそうなものは収穫し、潰せるものは潰しておく。一連のエージェントたちの様子からは、そういった動きが予測されました。――なので、博士。彼らが欲しいと思っているあなたを囮にして、このまま現状のアポイントメントへの対応を続行し、釣り出すことはできないかしら?』)
 無茶な提案だなぁ、と、一昨日の夜のエメレオは苦笑した。それでも何とかやってのけた。通信が傍聴されている可能性を考慮して、λ(ラムダ)たちには何も言えなかった。せめてあの『物騒な会合』の一言で、何かしら事情を察してくれていればよいのだが。
「……だが、このままでは終わらせない」
 通信端末を操作して、エメレオは呟いた。
「僕は僕の力で、あの子を守る。――僕謹製の最高傑作のシステムだ、お試し体験と行こうじゃないか」
 口元に笑みが浮かんでしまうのは、少しだけ許してほしい。男の子のロマンというやつだ。
 通信装置の画面に表示されたメッセージに従い、ポケットから取り出した黒いキーカードを装置の下のスリットに差し込んだ。

 ――システム□□□□、機能限定解除。□□□□領域と接続。リソースの規定量を確認。演算フィールドを制定。

 エメレオが施したログハック対策のマスキング処理によって、ほとんど意味を成さないメッセージが画面上に流れる。

「――情報とは何だと思う、μ」
 エメレオは遠くから彼女に向かって語りかける。届くはずがない、だから、これは科学者の独り言だ。
 
 情報。最も一般的な意味で言えば、それは『知らせ』だ。だから、情報は知らせる、作る主体がいなければ情報たり得ない。
 ならば、情報とは知らせる主体の生命活動の結果である。生命活動は複雑な仕組みをしているが、すべての仕組みの間にはそれぞれに情報伝達系が存在する。情報はあらゆるところに遍在する。
 
 ――本当に?

 エメレオがそれに気づいたのは本当に『偶然』だ。情報は一種のエネルギー場を規定している。情報は質量を伴うものではない、概念だ。
 だが、質量を得る前の『段階』が物質には存在している。
 
「生命が必然的に発生するのであれば、すべての出来事には目的と意味が生じる。この宇宙は何らかの目的を持って存在する。ならば――発生の前に必ず、必然を招く『情報』が、理由がある」
 
 固体液体気体、そして幽体(プラズマ)
 この質量に溢れた宇宙の原点は超高温高密度のプラズマだ。そのエネルギー量はエメレオの視点から見れば、まさに神の生誕と受肉に等しい。その原点の向こうに、さらに大量のエネルギーを、情報を、物語を、エメレオは幻視した。
 
「量子とは波であり点である。それは視点や次元が異なるだけで、単なる見方の話。僕からすればその正体は、概念的にいえば、塵のような肉体を得た巨大なエネルギー……いいや、意志の欠片」
 
 だから、順序が逆なのだ。
 情報とは知らせる主体の生命活動の結果――ではない。
 
 情報とは、生命の正体そのもの。生命とは意志あるエネルギーだ。そして、世界の塵になり損なっただけの、エネルギーはそこかしこに存在している。
  
「この宇宙が『肉』を得たのはたったの数パーセントぽっち。残りの十数から数十パーセントは……『僕たち』だ」
 MOTHERは、魂を高密度のエネルギー記録型情報体と表現したけれど。
「魂とは、存在理由(プログラム)を確かに宿した指向性を持ったエネルギーの塊、いわば意識だけを持った生命、意識体だ。それが物質として記録されていたのが、僕が見つけたソウルコード。物質的なソウルコードから逆再生して、エネルギーを意識体たらしめるには、エネルギーにプログラムを宿すための継続的な接点と場と、それなりのエネルギー量が必要だが――幸い、君たちの体でも再現できた。『協力者』は必要だったけどね」
 
 だからそう、これは、その発展型。
 
「さあ、準備はできた。魂を宿した、世界初の、いや、宇宙初の人造生命。君たちを次の段階へ進めよう」
 
 
 *
 
 
「ほらほら、どうしたァ!? シンカナウスご自慢のアンドロイドはその程度の性能かァ!」
「っ……!」
 
 頭上からブーツの踵が重く振り落とされた。ひやりとしながら掌底で受け流すと、相手の体とすれ違うように位置を入れ替える。
 一撃一撃、機械化によって限界まで強化された人間の繰り出す攻撃は、μの体に十分脅威的なダメージを与える威力を持っている。
 それが、間髪入れずに連続で襲ってくる。
「っはははははは!」
「あああああああっ!」
 連続攻撃。息つく暇もない戦いの雨を、μは限界まで目を見開いて、すべて(さば)き切る。
(威力を減衰させればそこまで怖いものではない、けれど――っ!)
 防戦一方というわけではない。隙を見ては反撃するが、防がれる。膠着状態、というのが正しい。
 だが、仕切り直そうと距離を稼げば――。
 
「おら、食らえやァ!」
 
 慌てて全速で空を横に滑り、回避行動を取った。一瞬遅れてμがいた場所を幾筋もの弾丸が貫いた。機銃掃射。弾丸の出所は相手の腕から盛り上がって出てきた銃口である。
(人間のくせに、なんてデタラメな武装! どこからどこまでが生身なんだ!?)
 心の内で絶叫した。冷却液が思わず体表ににじみ出てくる。人はそれを冷や汗と言うらしいが、どちらにしても不快極まりない。内燃機関も先ほどからかなり回転数を上げている。
「なぁ、アンドロイドにはこういう『標準装備』ってのはねぇのかぁ?」
「……」
「ま、あったらとっくにこっちの鎮圧に使ってるか。頑丈で速いが、戦闘向きの作りはえらくシンプルってわけか?」
 ドリウスは獰猛な笑みを浮かべた。μからすれば、実際のところ、自分の手の内を教える義理もないので、黙っているだけなのだが。
「それにしても拍子抜けだぜ」
 傭兵の男は肩をすくめた。がっかりした、とでも言いたそうな顔だ。
「シンカナウスの凶悪な技術力で作られたアンドロイドだ、戦ってみりゃあヤバイ性能に違いないと思ったわりに……攻撃が大人し過ぎる」
 次の瞬間、目が、獲物を狩る獣の如く酷薄な色を帯びた。
「ガール。エメレオ・ヴァーチンが作ったのは、所詮はかわいいお人形さん止まりだったってことだな。――テメェの拳には殺意がねぇ。『必ず殺す』、そういう必殺の意思がない」
「!」
 μは顔を歪めた。
「殺し合いに気概は必要だ。絶対に目の前の相手を殺す……その意思がなけりゃ、駆け引きもなにもあったもんじゃねぇ。俺にその拳は届かねぇよ。テメェがさっきからやってるのは、ただ死なないだけ、負けないだけの時間稼ぎ……」
 ドリウスは軽く腰を落とし、
 
「『欠陥品』だ。殺戮人形と呼ぶにゃあ、あまりにも生ぬるい」
 
 そんな評価を、アンドロイドに対して下した。