二章 欠陥だらけの殺戮人形(キリングドール)-1

 翌朝μ(ミュウ)がスリープモードから復帰すると、時刻は予定していたよりまだ早い時間だった。エメレオは既に起き出して、壁掛けのテレビジョン受信機のモニターに映し出された映像に見入っている。
μはさて、とネットワークにアクセスして――自分のところに、大量の着信が入っていたことに気がついた。
 
 
 エメレオに借りたモニターのカメラ機能を使い、フェイスtoフェイスモードで通話を始める。と、いきなり画面いっぱいにλ(ラムダ)の怒った顔が映ったので、μは思わず仰け反った。あ。ε(イプシロン)が隅っこにいるのが見える。
『――信じられない! 私にせめて一言くらい連絡入れてよね!』
『まぁまぁλ。μだって急に護衛任務に指名されたんだから、君に断る暇もなかったに違いないよ』
『ε、そうは言うけど、あのμよ! 面倒がってまとめて対象を処理しようとして訓練場を焦がしたの、忘れてないでしょ!?』
 それは忘れてほしい、と、μは少し画面から目を逸らした。横でエメレオが唇を引き結んでいた。頬が膨らんでいるのは、きっと笑いを堪えている。
 μはλの機嫌が落ち着いてきたのを見計らって、今までの経緯をかいつまんで報告する。冷静に状況を確認したεが、首をかしげた。
『でも変だね。ヴァーチン博士、護衛任務を任せるにしたって、試験中のアンドロイドを外に出すのはアンドロイドの安全規定(セーフコード)に抵触するだろう? 何でまた一体だけ外に持ち出したかったのさ』
「おや、僕がアンドロイドを持ち出したいから護衛をMOTHERに依頼したとでも思ったのかい? 本当に僕は追いかけられてるし、命も狙われているよ?」
 隣でμはうんうんと頷いた。既に昨日の戦闘記録はデータベースにアップロードしてある。今頃MOTHERが、どの勢力から放たれた刺客だったのか、解析を進めていることだろう。
「まぁ答えは単純でね……無理を通してでも、戦闘型アンドロイドを護衛にしたかったんだ。今、僕は誰も信用できない状態にあるからね。人間よりも自分が開発したアンドロイドの方がよほど信用できる」
『穏やかじゃあない話だね』
「僕の頭脳は誰もが喉から手が出るほど素晴らしい発明をする代わりに、誰もが消し去りたいほど、相手にとって厄介なことを作り出すのさ。天才っていうのは苦労するんだよ」
 エメレオは軽く笑い、ソファから立ち上がった。
「さて、μ。λたちへの連絡も済んだことだし、ちょっと護衛を頼まれてくれるかい」
「どこかにお出かけですか」
「うん」
 エメレオはクローゼットの中から濃い灰色のジャケットを取り出した。
「――ちょっと、物騒な会合にね」
『『「ん?」』』
 スクリーンの向こうとこちらで、アンドロイドたちの疑問の声が重なる。
『μ? 私たちは訓練を続けるけど……MOTHERになるべく、応援に行かせてもらえるようにかけあってみるから。無理しちゃだめよ』
 通信を切ろうとした手が止まる。
「……うん。でも、これが私の仕事だから。切るね、λ」
『……気をつけてね』
 
 
 *
 
 
 心配そうにするλの顔が、ふつりと真っ暗な画面に切り替わった。ちらりと視線を動かせば、スクリーンの映り込みで、隣にジャケットを羽織り終えたエメレオが立っているのが見えた。
「君のお姉さんはずいぶんと心配性なんだね」
「私がしっかりしてないから、だと思います」
「そうかい? 昨日の戦闘性能を見る限り、大丈夫のように見えたけど」
「……機械相手なら。生物は苦手で……柔らかくて」
「……そういえば、君たちの模擬戦闘の生体対象って、豚だったね」
 さすがに戦時でもないため、実戦もない。一番ヒトに近くて手頃なのがそれだった。手のひらに残る、温かい血糊の感覚を覚えている。肉も皮も、ナイフを握ればアンドロイドの膂力で簡単に引き裂けた。彼らの絶命の悲鳴は今でも再生できるが、あまり思い出したくない記憶だ。そのまま動物の解体処理の練習に移行して、何体かのアンドロイドたちから悲鳴が上がったのはいい思い出……なのだろうか。
 周囲を警戒しつつ、再び車で移動する。ラジオではどうやら昨日の襲撃事件での攻防がニュースになっているようで、複数体の殺人ドローンを一蹴するヒト型アンドロイドが、我が国で軍事開発されたものであることを説明する国防相の会見音声が流れていた。一般人のいるエリアにそのような兵器が放たれた経緯の調査状況に加え、キャスターたちのコメントは、軍用開発されたアンドロイドの安全性にも焦点が当たっているようだ。
『街中で暴走などはしないのですか?』
『特殊技術により開発された高性能の人工知能を搭載し、国際標準のセーフティ試験もクリアしています。ハッキング対策も厳重にしてあるので、現行の技術での突破はかなり難しくなっています。ほぼ現実の人間のように判断し、喜怒哀楽を表現して状況に応じて対応できる。軍人の精神面でのケアもこなせると、評判は上々のようですよ』
『なるほど……それに加えて要人警護も対応できると、今回の事件で証明されたわけですね。心強い味方ですね』
 心強い味方、の部分で、ふ、とエメレオが笑った気配がした。おやとμは横目で彼の顔色をうかがう。どこか皮肉そうな色を感じたのだが、気のせいだったろうか。
「今日はさすがに、戦闘型アンドロイドの性能解析に、各所が躍起になっているかな?」
「……少なくとも、周囲に不審な動きは見られないようです」
 ちらりと周りを見渡すが、そのあたりの人間に攻撃的な色の動きはない。敵意判定システムに不具合がなければ、警告は発生していないから、大丈夫だろう。
 水面下での命のやり取り。巻き込まれさえしなければ、国民の生活は平穏そのものだ。ただ、と、ふとμは考えこんだ。
 ――本当に平和なら、自分のような存在が生み出される必要性とは、何なのだろうか。
「ああ、着いたよ。ほら――」
 エメレオに促されて視線を上げる。何か大きな海沿いの施設のようだが。石看板に目が行った。
 
『東シンカナウス海洋観測基地』
 
 促されてエントランスホールに入ると、ラウンジが右手に広がっていた。名前の通り観測所としての機能に主眼を置かれているからか、あまり凝った作りではないようだが、ガラス張りの円形の空間には開放感がある。談話用に黒い革張りのソファやガラステーブルがいくつか点在する中に、数人の人影を見つける。エメレオはそちらに向かって歩き出した。
「やあ、ご無沙汰しているね」
「ヴァーチン博士、お久しぶりです」
 待ち人とエメレオが会話をしている間に、μは瞬時に目を走らせた。短い時間の走査だが、誰にも攻撃性はないと判定。しかし、と眉根を寄せる。
 エメレオは研究畑の人間のはずだ。その彼が接触しているグループの中に、妙に荒事に慣れていそうな佇まいの者がいるのが気になった。
(……生物特有の呼吸音がない。男性型アンドロイド? それにしては妙に……)
 どこか仕草に強い癖のようなものがある、とμは感じた。
 
 
 *
 
 
「MOTHER……お願いです、私たちもTYPE:μの支援に行かせてください」
「μ一人だけでは、これまでの実績からして、カバー力に若干の不安があります。僕たちもバックアップを行うことで、よりヴァーチン博士に万全の警備体制が敷けるかと思うのですが」
 セントラルルームに入ってくるなり、開口一番、TYPE:λとTYPE:εの二人はそう並べ立てた。
 その声を聞いていたMOTHERはというと、目を伏せて周囲の情報負荷を減らし、一連の演算処理を行っていたところだった。きりがいいところでバックグラウンド処理に切り替えたらしく、振り向いたMOTHERは、あら、と口元に微笑みを佩いた。

「珍しい組み合わせの二人だこと。εは昨日、μと話をしていたわね。ここに来させるきっかけになったこと、案外、気に負っていたりするのかしら?」
「分かってるんなら言わないでください……」
 εは眼を逸らした。本人からは優等生と目されて、湿度の高い眼で見られることの多い彼でも、わずかながら後ろめたい思いをしているらしい。
「……μの支援に行きたい理由は?」
 MOTHERが訪ねると、λが一歩前に踏み出した。
「あの子は優しい子です。下手をすれば殺傷行為が発生するような、武力行使の伴う任務では、一瞬のためらいが致命的な事態に繋がる恐れがあります」
 MOTHERは小首をかしげた。
「…………それを示唆する具体的データはありませんね。これまでの生体を対象とした模擬戦闘では、彼女は問題なく対象の動物を殺しています。誤差も想定の範囲内に収まっていますが、それでも任務の障害となり得ると感じますか?」
 そうだ。λはMOTHERの疑問に歯がみした。なまじ、μは真面目だ。求められる結果を出そうとする。だから、殺傷行為を想定した訓練でも、求められる成果の範囲に結果を収めるように努力している。それでもμが本当は殺すという行為を苦手としていることぐらいは、周りのアンドロイドも分かっている。MOTHERがそれを知らないはずがないのに。
「別の観点から、本件について僕は疑問を呈します」
 隣でεが声を上げる。MOTHERは片眉を上げて続きを促した。
「エメレオ・ヴァーチン博士。彼は確かに、その頭脳と技術力は他の追随を許しません。彼を失うことは我が国シンカナウスにとっても重大な損失になり得る。それゆえに、護衛が常に彼の周りには配されていたはず。――なぜ、今、彼の側にはμしかいないのですか? 本来彼の側にいるべき護衛はどこに行ったのですか?」
 そして、とεは続けた。
「博士は、今、誰も信用できない状態にあると言っていた。人間よりも自分が開発したアンドロイドの方がよほど信用できる、と。――何か、隠していませんか、MOTHER。護衛任務に就くにあたって、μに告げるべきことが、もっとあったんじゃないですか?」
「――まさにその件について、今、情報の裏取りを進めていたのですよ」
 MOTHERは冷静な声で、εの猜疑をなだめた。
「不確かな情報で彼女を混乱させるわけにはいかないので、あの夜は何も言えなかった、というのが正しい。緊急事態が発生した直後だったものですから、μには来るものすべてに対処してもらうという選択しかとれませんでした」
「緊急事態?」
「エメレオ・ヴァーチンがたった一人でこのセントラルルームにやってきたのは、施設内で小規模戦闘が発生していたせいです。対処したのはゼムでした」
 思わぬ返答に、二人は息を呑む。施設内のすべての出来事(ログ)を把握しているのは、警備員や施設管理者の他にはMOTHERしかいない。戦闘型アンドロイドたちが感知できない規模とごく短時間での戦闘ということは、ほぼ数秒で勝敗が決したということだ。
「戦闘で死者が一名、出ています。――亡くなったのは、博士の護衛であるパトリック・ファラー。本名は、どうやらルゼルガム・ウォーというようですが」
 本名? λは目を見開いた。それの意味するところは、つまり。
「博士の護衛が、他国のエージェントだったってことですか?」
「残念ながら」
 十年来の護衛でしたので、彼にも予想外の事態だったようですが、とMOTHERは呟いた。
「その可能性が高いと判定したために、私はエメレオに警告を行いました。それを受け、最も重要な機密情報を奪取される危険を回避するために、博士はゼムを盾にして時間を稼ぎ、単独でこのセントラルルームがあるエリアに逃げ込んでいます」
「そこにたまたまμがいて、巻き込まれた……? しかも、帰り道に、もう一度ヴァーチン博士は襲われている……」
 λの言葉に、MOTHERは頷いた。
「一連の出来事は同じ勢力の差し金です。そして、攻撃はまだ終わっていません。彼らの目的は、エメレオ・ヴァーチンの奪取もしくは殺害。さらには――」
 MOTHERの告げた内容に、λたちは目を瞠る。
「――おや、政府からメッセージが入りましたね」
 MOTHERは宙を見上げて呟いた。メッセージの内容を咀嚼していたのか、視線を少し巡らせたあと。
「……指令(オーダー)。緊急事態につき、追加の戦力投入の承認が成されました。二人とも、TYPE:μの支援につきなさい」
 λとεは顔を見合わせ、急いでセントラルルームを飛び出した。

 一人、セントラルルームの中央で、MOTHERは目を伏せる。
「――たまさかに? いいえ、まさか」
 ぽそりと小さく呟きが落ちた。
「『そんな生やさしい運命の悪戯など、この世界には存在しない。神は常に無慈悲なものだ』。――そうよね、エメレオ」