一章 後ろ向きのアンドロイド-4

「――サンルーフ、開けます。外に出ますよ」
「うん、よろしくね」
 シートベルトを外し、開け放ったルーフの間からするりと伸び上がる。
 向かい風に煽られ、ばたばたと、薄茶色の人工頭髪が視界の端で揺れた。不意に警告が頭を埋め、とっさに横にのけぞると、毛束をびゅっとかすめたものがある。
(銃弾……消音装置(サイレンサー)付きの小砲台を仕込んだ改造車なんて……こんな街中で物騒な)
 二発目は動体視力で察知し、ばしっと手の中に納めた。
「どこからばれたんでしょう。施設の車にあなたが乗っているなんて情報、なかなか広まらない気がするんですが」
「どうせ道路監視システムだよ。あっちこっちに目がある」
 エメレオの気楽な声が返す。たいした肝の据わり方だ。
 ハッキング? ないし内通者、協力者があちこちにいるということか。ますます厄介、とμミュウは半眼になった。
(――磁力妨害で弾道の攪乱(かくらん)を……だめか、働かない。比較的低温で溶け出す生分解性の樹脂弾、暗殺によく使われるやつだ)
 でろりと手のひらに張り付いた樹脂弾を剥がして道路上に放り捨て、ふむ、と一考。
「――では、こちらでどうでしょう」
 手をかざした先で、問題の後続車の前方ががくんとつり上げられたように『浮いた』。所詮は鉄製。バランスを崩した車は横転して遙か後方へ遠ざかっていく。
「やあ、磁力制御機能ってやつか」
「高速機動の副産物ですけどね。――頭は出さないでください。まだ後援があります」
 頭上にドローンの群れを見つけ、μはエメレオに引きこもりをオーダーする。
(数は――十五、か)
 視界には十機。目視以外にセンシングが働いて、さらに五機、死角に熱源を探知。
 他にはいないようだ。
 科学者一人を殺すにはやたら豪華な配備だ、と思う。いや――、
(戦闘型アンドロイドの戦闘能力が未知数だから、か……)
「――飛びますね。携帯用シールドをしばらく展開しておいてください。車の中に備え付けてあるので。車自体は防弾使用なので、砲弾や爆弾でも飛んでこない限りは大丈夫です」
「あ、これ、雨傘じゃなかったんだね……」
 取り出した銀色のメッシュ地のドームを広げている科学者をちらりと見てから、μは宙に浮き上がった。
『――空中戦に対応しているのか!?』
 思わずといった調子で、操作者の驚愕の声がドローンのスピーカーから聞こえる。
 まぁとりあえず近場から、と――ゼロから一気に加速した。秒速三百メートル。音速に近い速度でドローン一体に衝突し、肘鉄を食らわせた。甲高い破砕音を上げて、一瞬でドローンが内側から破裂するように粉々に吹き飛ばされるが、μは衝突ポイントでぴたりと停止している。
 二体、三体、四体、五体、六体――と、縦横無尽に動きながら、次々とテンポよく目標物を破壊していく。
 μの推進機構はジェットエンジンではない。移動したいところに意識のポイントを置けば、そこに体が引っ張られていく、というのが近いか。動きに対応できず、数秒のうちに半数が処理されたところで、やっとドローンのカメラ越しにμの機動ロジックを理解したものがいたようだ。
『無軌道すぎる……! 慣性すら無視している。空間駆動型飛行ができるのか!』
 ――正解だ。
 内燃機関の出力上昇による高エネルギー場の形成。それによる進行方向空間の湾曲、圧縮。ぴんと張られた布を上から押し込んで、立体空間における座標をずらすようなものだ。ものが動くのではなく、空間を操作してものを引っ張る。それがμの空間駆動の原理である。一応あと二十三体、同じスペックのアンドロイドがいる。
 重力はないも同然。慣性、無効。重力場がかかる条件での物理法則にμは叛逆している――なので、安価なプロペラ飛行のリモコン兵器程度ではとても対応できない。μからすれば止まっているも同然の速度だ。
 戦闘時間、およそ二分。種類の違う敵性体を次々処理する訓練はあったものの、数が違う。初戦としては早いのか遅いのか。戦闘成績としてはどうかな、とつい訓練の癖で考えながら、μはエメレオの隣にすぽんと降りた。
「戻りました」
「いやぁ、頼もしいねぇ、助かる助かる」
「仕事ですから……」
 サンルーフを閉じて携帯シールドもたたむと、エメレオは嘆息混じりに苦笑した。
「僕を殺せばこっちの研究が止まると考えている人間の多いこと、多いこと。僕はもうほとんどの発明は終えてしまったから、意味はないんだけどね」
「……? 発明をやめたってことですか?」
「違うよ」
 エメレオは首を振った。
「僕はもう、作りたいこと、やりたいこと、すべて終えてしまったんだ。だからもうこれ以上は何も出てこないよ。やってくれと言われたらできるだろうけどね、今までのような革新的な発見はしないと思う。強いて言えば、宇宙の向こう、果てを見てみたかったけど……どうかな」
 ざわりと体が騒ぐような心地を覚えた。今、自分は何に反応したのだろう。
(宇宙の向こう……宇宙の果て……)
 エメレオの憧憬が、どこか、μが抱える衝動に、通じるものがあるようで。分かる気がした、のだ。
「――宇宙の果てに、何があると思いますか」
 思わず、そう聞いていた。
 エメレオは虚を突かれたようにふと目を瞬かせたが、μの方を向いて、静かに微笑んだ。
「きっと、美しい場所が」
 
 
 *
 
 
 世界最高峰の天才科学者が住んでいるのは、とあるタワーマンションの中階層にある一室だった。プライベート用なのか、薄いノート型のパソコンが一台、リビングのガラス製のテーブルの上に無造作に放り出してある。壁に設けられた巨大スクリーンに映っているのは、どこかの風光明媚な景色のようだ。生活を邪魔しない程度に、小さな音で音楽が流れていた。
 しかし、こざっぱりとした調度に似つかわしくない、妙にいかつい機材がいくつかごろごろと床に転がっているのは、やはり研究者というべきなのか、何なのか。
「こんな場所でごめんよ。一応セキュリティは最高レベルらしいから、ここはあんまり襲撃の心配はいらないんじゃないかな。あ、体を洗いたいならシャワールームを使ってくれて構わないから。そのあとでいいからさ、ちょっとアンドロイドのシステムアップデートに付き合ってくれない?」
 さっきの戦闘で服とか汚れたでしょ、と入浴を勧めてくれるエメレオに、μは眉を潜める。
「……アップデート?」
「大丈夫、君たちのOSに致命的な影響は与えない。ちゃんとチェックしてあるから。だいたい設計を作り終えたあとで思いついちゃったんだけど、もう間に合いませんって試験機製造課程で工場から跳ねつけられちゃってさぁ。機会があれば載せたいと思ってたんだよね!」
 まさかそんな理由もあって護衛用にアンドロイドを一体調達したのではなかろうな、とμは密かに半眼で科学者を睨みつけた。
 エメレオはそんな視線もつゆ知らず、ふわふわのタオルをこちらに放って寄越した。
「ほら、さっき、新理論を応用したシステムのこと、言っただろ。早速実装するからさっさと埃を落としてきて。あ、替えの服はさすがにないから僕のガウンを着てね」
 ぐっと眉を寄せはしたものの、μは言われた通りにシャワールームでざっと汚れを洗い落とし、服も洗浄装置に突っ込んだ。
 タオルガウンを一枚羽織った状態で、エメレオが示した調整機材の電極を胸元に貼る。イヤホンのカナルを耳に差し込み、準備は整った。
「じゃあ、設計情報、流すからね」
「今さらなのですが、これは無許可の改造では?」
「いいのいいの。どうせどこを改造したかなんて、僕以外じゃ専任技術者ぐらいにしか見分けがつかないんだから」
 鼻歌まじりに、科学者は先ほどリビングにあったよりはハードな造りのノートパソコンを開き、調整機材のケーブルをポートに差し込んだ。
「えーと、設計ファイルは、っと……あったあった。これでいいはずだ」
タンッと、小気味いい音を入力キーが奏でた。
 数秒後、μのイヤホンと電極から流し込まれた設計情報が、μの頭脳にあたる計算中枢の隣にもうひとつの回路を作り出した。
「有機物誘導式の回路形成手法はやっぱり取り入れて正解だったね。青写真となる設計情報を読み込ませれば、計算回路を簡単にカスタマイズできるし、プラグインも入れやすい」
 ふふん、と得意そうに鼻を鳴らしたエメレオは、続いて、出来上がった新設回路の動作プログラムを入力し始めた。
 ここで、μは少し恐ろしい事実に気がついた。
「待ってください……あの……」
「絶対に破れないセキュリティシステム、絶対に流出しない情報なんてもの、この世にはないからね。そんな時に秘密を守る一番いい方法は――頭の中に入れたままにしておくことさ」
 μは内部機関がどんどん冷えていく気持ちになった。
対話形式(インタラクション)で即興コーディングなんて正気ですか!? ドライバシステムをその場で組み上げるとか狂気の沙汰ですけど!?」
 関数の単体テストもシステムテストも通していない生コードなんてとても怖くて実行できない。廃人になったらどうしてくれる。
「大丈夫、大丈夫。天才の僕を信じなさい」
「騙されたー! 詐欺だー! バグ落ちさせられるー!」
 じたばたと暴れようにも、更新モードに入ったせいで口しか動かない。やられた。
「事前にプログラムコードを確認しなかった君の落ち度だね。次回からみだりに他の人にいじらせちゃダメだよ?」
 μの絶叫も科学者は笑いながら涼しい顔で聞き流す。
 近寄らないでおこうじゃない、絶対近寄ってはいけなかった種類の人間である。
「このマッドサイエンティスト!」
 いやぁぁぁぁぁ! と、部屋の中に抗議の悲鳴が響き渡った。部屋の壁は防音仕様だ。誰もμの哀れな叫びに気づくことはなかった。
 そして、恐るべきことに、新理論によるシステムは他のμのシステムと競合を起こすこともなく、きちんと噛み合うように実装された。あとは起動符牒(キックコード)をμが実行すればいいだけのはずだが……。
「何で、肝心の起動符牒(キックコード)がブラックボックスなんですか」
「あはは……いやぁ、うんうん……」
 睨みつけた先の科学者はにこにこしながら頬を掻いている。
「新システムの起動符牒(キックコード)は普通、アンドロイドが読み取りできるようにアクセス権限が設定されてるはずですよね……?」
「工場内の実装ルールはそうなんだけどね。せっかくだからこう、サプライズ起動とかカッコいいかなーって」
「誰の得になるんですか、それ。事前にテストパイロットもなし、ぶっつけ本番の起動なんて誰が喜ぶんですか? 全く納得できません」
「男の子の夢が詰まってるじゃん。ほら、新しい機能が土壇場になって発動してカッコよく逆転したら最高に気持ちいいじゃん」
「あなたを信じてはいけないということがよく分かりました。もう金輪際触らせません」
「メンテナンスコードの監修するのも僕だよ?」
μは押し黙った。今まで何とも思わずに更新作業や修正プログラムの適用を受けてきたが、この男の適当な即興コードが一体いくらそこに混じっていたのか。後生なので品質チェック部隊の仕事は確かなものであって欲しいと願うばかりである。仲間たちのために。
「ところで僕、お腹すいたなあ。何か作ってくれない? 女の子にご飯作ってもらうの、一回やってみたかったんだ」
「……」
新しく追加されたデータの中に、家政婦ロボからコピーしてきたとしか思えない料理レシピ集が入っていたのは気のせいではなかったようだ。
 思い切り白い目で眺めたあと、μはキッチンに立つことにした。