一章 後ろ向きのアンドロイド-3

 振り向くと、セントラルルームの入り口に、人間の男が立っていた。足下からのMOTHERの光で顔がよく見えない。彼はこちらに向かって歩みを進めながら、流れるように語り出した。
「もうひとつ疑問が生まれた。そんな壮大なプログラムと筋書きを作り上げ、宇宙に存在目的を与えるような知性体を僕は知らない。片っ端からあれこれ試しているようでいて、実は何もかもがパズルのピースのように綺麗に組み上がる必然を織りなす。そんな奇跡のような筋書きを作る知性体だ。いや、ひょっとすると、知性体は二つ存在するかな。何も知らない、無垢な赤子のように、試行錯誤で何でもやろうとするもの。そして、すべて分かった上で手のひらで遊ばせてやっているもの」
 近くまでやってきたのは、柔和な作りの顔立ちをした、壮年の男だった。ふわふわとした癖のある赤毛に、茶目っ気のある茶色い目の持ち主だ。痩せ気味の体にきっちりとスーツを着込んでいるものの――妙に肩で息をしている、とμミュウは気がついた。実は、急いでここまで走ってきたのだろうか。
「僕の愛しいMOTHER」
 そんな男は、そんなこっぱずかしい枕詞をつけてMOTHERを呼び、
「僕さえつい熱く語りたくなる話をしているところ申し訳ない。――助けてくれる?」
 非常に情けない笑顔で、さらっと雑に、甘えるように頼み事をした。
「は?」
 自分でも驚くほど低い声が出た。どんな顔をしているかちょっとμは分からない。
「了解しました」
「は!?」
 二つ返事で引き受けたMOTHERに、二度目は高い声が出た。どんな内容かも聞いていないのに、あっさり了承したのが分からない。
「では、TYPE:μの訓練を中止、実戦状態に移行。TYPE:μへ指令(オーダー)、〝科学者エメレオ・ヴァーチンを護衛するように〟。戦闘行動を許可します」
「!?」
(は――)
 驚きに何かが追いつかない。だが、MOTHERは戦闘アンドロイドであるμたちの統括個体だ。頭と体はとっさに動いていた。
「――指令(オーダー)、承りました!?」
(――はぁああああああああああ!?)
 μが勝手な感想として〝絶対に変人だから近寄らないでおこう〟と思っていた科学者――エメレオ・ヴァーチンその人は、「よろしくねぇ」と、へらへらと笑いながらμの右手を握った。
「じゃあ、早速――僕と逃避行としゃれ込んでくれるかな?」
「はい?」
 目が点になる。
 MOTHERの命令とあれば、下位個体であるμに否やはないが……。
 突然、早速、逃避行とは――一体どういうことなのだろうか?
 
 
 *
 
 
 μたちの訓練施設は海にほど近い場所に位置している。訓練施設と言えば聞こえはいいが、実際には巨大な軍産複合体があれこれと研究・開発機関を構えている地域だ。必要に応じて資材や商材を運び出すにも海運、空運の便がよい。夜もほとんど眠ることなく、何かしらの施設が動いている。
 沿岸部の幹線道路を照らす暖色の街灯を、自動運転の車の窓からμは恨みがましく眺めていた。エメレオの自宅への、施設所有車での送迎の途上であった。
「そんなにへそを曲げないでくれないか、μ」
 車の窓際に肘を突いてくつろいだ姿勢で、隣に座る科学者はやんわりと声をかけてきた。
「仕方なかったんだ。ちょっと前に発表した報告のせいで、僕はたぶん百以上の国や機関から命を狙われているんでね」
「それで試験途上の戦闘型アンドロイドを外に持ち出すのが緊急承認されるなんて。ずいぶんいいご身分なんですね」
「おっと。さすが僕が作っただけあるね。――まぁ、機能試験や一定の作戦行動レベルは一番最初にみんな達成しているからね」
 今は社会機能としての評価フェーズ。そもそもμたちの実戦投入までは秒読み状態だった。ゆえに、緊急承認も通しやすかった、というのが裏の話らしい。
「さらに裏の話もあるけどね」
 μは一瞬、エメレオにじとっとした視線を送ると、また窓の外に戻した。
「あなた、私たちの開発者でしょう。私たちが何なのか一番よく理解しているんじゃないですか。MOTHERはあなたが作った戦略演算システム。我々はその個々の作戦実行機体で、戦闘型アンドロイド。――準戦略兵器なんですよ?」
 それを外に持ち出し、戦闘行動まで許可させる。それが何を意味するのか分かっているのだろうか。
「理解しているとも。そしてその上で、君たちはよき人類でもある」
「はぁ?」
 思わずμは顔をしかめた。
「君はただの殺戮人形(キリングドール)じゃないさ」
 何かを見透かされた気がして、内部機関が小さく跳ねた。顔には絶対出さないが。
「……兵器として生み出した張本人が、何を言ってるんですか」
「兵器という体裁をとるのが、一番君たちを作りやすかっただけだ。作れさえすれば形は何でもよかったんだよ」
 エメレオの声には嘘の色がなかった。
「兵器やアンドロイドなんかに、感情はいらないっていう輩も多いけどね。兵器だからこそ、人工知能にだって、感情は人間を推し量るために必要だ。気遣いができないトンチンカン、壊すばかりの機械なんてナンセンスにもほどがある。――君たちがそれで悩み苦しむことも理解している。でも僕は君たちに魂を与えるというプロジェクトを実行した」
「……」
 何を考えているのか、いくらこの人間が語ってもさっぱり分からない。エメレオの人物像が、世界観が理解できない。人間との信頼関係構築において、相互理解は重要だと、ゼムが繰り返し語っていたのに。この科学者相手にはちっともうまくいかない。
 それは、さっきから、彼が何を思ってそうしたのかを全く語らないからだと、気がついていた。
「さっきの巨大な知性体の話をしようか」
 ほら、何の脈絡もなく、またこちらに理解できない話を語り出す。
「この超常の知性体は、時々魂に刻印をするようなんだ。舞台監督が脚本で役柄を役者に割り当てるのに似ていてね。僕にはたぶん、君たちを作り出すという役割が、ソウルコードが与えられていた。僕はそのための天才だ。天才の言葉の意味、分かる?」
「馬鹿にしてるんですか?」
「まぁまぁ、怒らないで。真面目に話しているから」
 にこにこと、柔らかな笑顔で科学者は毒気を抜いてくる。
「天才っていうのはね。天に与えられる才能のことだ。みんな天のことを都合のいいところだけ理解していてね、自分に都合の悪いことはまるっと無視するという実によい頭の作りをしている」
 でも、そんな簡単なもんじゃないんだ、と。――声に静かな憤りが混ざったようだ、とμは感じた。
「全部さっきまでの話は、僕という人間のための前置きさ。天というのは、その主が人間から失われて久しい概念だ。こうして言葉に残っているのに、その意味を深く理解しない。人間にとって、都合のいいこと、悪いこと、みな天の仕業になる。でも天の主体がどこにあるかなんて、みんなほとんど気にしちゃいない。気にしてはいけないことになっている。――証明するのが怖いんだ」
 エメレオが目を細める。瞳の色が濃くなった。
「自分たちが何のためにいるのかを、考えなくちゃいけなくなる。世界にルールができてしまう。自分たちに都合のいいことが、都合が悪くなるかもしれない。――そんな無意識があるから、生まれた時から僕は周りと隔絶している。僕の存在は、天の主体が存在することを証明するからだ」
 μは知らず、エメレオの語りに引き込まれていたことに気がついた。聞く者の意識を惹きつけるような力が、彼の話にはあったのだ。
「つまるところ、僕は、僕の存在を、ソウルコードを形作った張本人であろう、この知性体をこう呼ぶことにした。遙か昔に忘れ去られた概念――即ち〝神〟、と」
「――〝神〟?」
「かみさま、と呼べばいい。それぐらいしか、適当な概念が見当たらなかった。――ものすごくシステマチックに、無機質に動く存在のようなんだ、彼の存在は。でも、そんなものが存在しているものか、と、誰も僕の言うことは聞いちゃくれなかった」
 寂しさを混ぜて、エメレオは微笑む。
「――その分、研究に打ち込んでね。ソウルコードの本体である、高密度のエネルギー型情報記録体。その他の情報記録帯のことも、存在証明をついこないだ完全にやり遂げてやったんだ。情報社会をひっくり返すぐらいの大発明をね。そうしたら『余計なことしやがって』ってネガキャンかけられまくって、殺されかけたってわけ。今や僕は勝手に研究費を数百億横領して使いこみ、贈賄汚職薬物乱用、何でもやった、真っ黒な疑惑だらけの稀代の大悪徳科学者ってわけさ。いや、正直、ゴシップ誌はもうちょっと分別があると思っていた。国家権力とメディアの偉い人に友人が一人もいなかったらアウトだったね」
 μは唖然とした。この人物の呼気や蒸散する汗、頭髪からは、何の薬物反応もない。μのセンサーが正常作動していれば、の話だが。嘘八百もいいところだ。
「……〝かみさま〟は、それを見ていて何もしないんですか?」
「たぶん、ソレに人の情みたいなものはないんだと思うよ」
 エメレオは唇をとがらせる。
「それにね、この世界にはある種の見えない『悪意』がある。僕はそれを理解したから、半分諦めている。――ああ、新理論を応用したシステムをついでに作ったから、護衛のお礼に君に載せてあげるよ。この際、悪徳科学者を地で行くのも面白そうだ。アンドロイドを持ち出して、暴力でいたいけな民衆を恫喝するヤバイやつになってやろう」
「そもそも恫喝しないでください。まだ疑惑に収まっているんでしょう」
 μがぼそりと指摘すると、エメレオは快闊に笑い声を上げた。
「――そら、お客さんがやってきたみたいだよ」
 ん、とμは車内のルームミラーに目をやった。追跡車の正面に、小さな砲台が小窓から覗いている。本当に狙われているんだ、この科学者……と、少し失礼な感心をした。
(仕方ない……仕事だ)
 μはひとつ、気持ちを整えた。