一章 後ろ向きのアンドロイド-2

 λラムダと一緒に昼のエネルギー補給を行い(といっても日光ルームで昼寝をするだけなのだが)、模擬戦訓練をいくつかこなして、その日のルーチンは終了する。
 λはTYPEが連番になっていることもあり、すっかりμミュウの姉役を気取っている。ちゃんと明日の予習をしておくように、との念押しに、別れ際、μはため息交じりに応と返した。
 μはぼんやりととりとめのない考えごとをしながら、訓練施設内を移動した。施設は大きく分厚い円柱の上に、平たい円錐を伏せたような形をしている。ぐるりと内縁部に沿うようにらせん階段が巡り、その先は円錐の天辺――セントラルルームへ繋がっていた。
 施設内への採光窓にもなっているガラス張りの天井越しには、ちらちらと夜空に星が瞬いている。わずかな光を感じながら、セントラルルームの中央に座っている女性型のアンドロイドに近づいた。
「MOTHER、いい夜ですね」
 話しかけながら近づくと、銀糸のような長い人工頭髪を揺らし、彼女――戦略演算システム、MOTHERは振り向いた。伏せられていた瞼の下から覗いたのは、眩く白い煌めきを宿した、宝石のような瞳。無機質に造り込まれた造形美に、μは知らず息を止める。セントラルルームに足下を繋がれ、莫大なリソースを提供されながら、星の行く末、文明の未来、あらゆる問題を計算する演算能力を有する、文明の落とし子だ。
 体の下を流れる巨大なエネルギーの奔流ゆえに、わずかに淡い光を放つMOTHERは、うっすらと微笑んでμを迎えた。
「TYPE:μ。いい夜ですね。また星を見に来たの?」
「ええ、まぁ」
 生返事を返しながら、μはMOTHERの隣に座り込んだ。
「……今日も、ゼムの長い話を聞いてうんざりしました。もっと語りたいことがたくさんあるんでしょうけど、もう少し簡潔に話せばいいのに。分かりにくいし、時間がもったいない」
 μの愚痴に、MOTHERはころころと笑ってみせる。
「合理的で省力主義。案外、司令官向きの性格なのかもしれませんね、あなたは」
「絶対嫌ですけど? MOTHER、私は戦闘型ですけど、叶うことなら話に聞く苛烈な戦場よりは、平和な町でのんびりと他のアンドロイドみたいに仕事をしてみたいんです」
「いいえ、絶対に向いていません」
「ええ?」
 やんわりと厳しい断定に、μはへにゃりと表情を困惑のものに作り替えた。
「あなたはどちらかといえば、満足に休む暇もないほどの連続連戦でも戦い続けられるTYPEとして選んでいるので」
「……」
 まさかそんな。目を剥いて見つめ返すμに向かって、穏やかにMOTHERは微笑み続ける。「――自分のコードが気になりますか、TYPE:μ」
「!」
 アンドロイドたちの会話は、基本的には放任されているとはいえ、MOTHERにも共有されている。全体のデータは知ろうとすれば知れるのだ。
 びくっと肩を揺らすと、MOTHERは口元の微笑みはそのままに、透徹した目でμを見据えた。
「あなたがたのソウルコードがブラックボックス化されているのは、研究者に余計な先入観を与えないのも理由ですが、もうひとつ。――あなたたち自身の在り方を、成長途上の段階でこうだと定めて固定したくないからです。μ、あなたたちはソウルコードを刻まれた者として、ある種のもうひとつの人類として作られています。壊れるまで成長を続け、完成することはありません。人間が死ぬまで完成しないのと一緒です。だけど、人間の精神はある段階からさほど中核が変わらなくなる瞬間が訪れる。――その中核が定まるまでの期間を、私はブラックボックス化の期間と同じにしたのですよ。魂が人間と同じであるならば、きっと、今回の方法で作られたアンドロイドそのものも、その自我を強固にする日がくると判じたのです」
「それは――MOTHER。他の解錠符号の所持者には……」
「秘密ですよ? エメレオなら見抜いているかもしれませんが」
 悪戯っぽい表情を浮かべ、MOTHERは人差し指を唇に当てた。ですよね、とμは項垂れた。 ――MOTHERのこの癖のある動きを作ったのは、昼間にゼムが何気なく口にした認知科学者、エメレオ・ヴァーチンという男だ。天才の名を恣(ほしいまま)にする彼は、認知科学だけでなく、ソウルコード研究の第一人者でもある。それも元はといえば、アンドロイドの人格アルゴリズムの構築に大いに寄与するほどの『変態的』な技術職から発展したのだという。そんな説明を最初に聞いた時から、絶対に変人だ近寄らないでおこう、とμは決意したが。
 MOTHERを利用する人々曰く、仕事や演算結果は確かだが、黙っていくつかの事案を裏で同時進行するという悪癖があるらしい。ただし、エメレオが彼女に与えた原初使命(プライマリオーダー)は「善きものであれ」、そして「文明の礎たれ」。その善性と目的の発露ゆえに、戦略演算システムであるMOTHERのやること、つまり計算結果は、最終的にはよいものとして顕在化するという実績がある。
 この悪癖、不確定要素にもほどがあるが、エメレオの功績も大きいゆえに政治的に潰しにくく、そして実際に便利であり、悪い結果にはとりあえずなっていない、という、責任者が頭を抱える仕上がりになっていた。
「MOTHER。私が気になっているのは、自分のソウルコードが何なのか、というよりは……私は、何なのか、ってことなんです」
「と、いいますと?」
 MOTHERはおっとりと首を傾げてみせた。
「私は――アンドロイドです。戦闘型で、でもどっちかといえば面倒くさがりで、臆病で、雑で、引っ込み思案です」
 μは自分を定義する言葉を並べ立ててみせた。
「でも、それだけじゃ説明がつかない、収まらない感情が発生している。何だか、ものすごく……それが怖いんです」
「怖い」
「はい。私は、私が理解できない。他のアンドロイドたちは、それを疑問にも思っていないみたいで。……私は、おかしいんです」
 きっと、自分には欠陥がある。ソウルコードには、人類には、たぶん、バグがある。そうとしか思えない。
「だって、戦闘型のアンドロイドとして生まれてきて、戦って、相手を殺害するとか、目標を破壊するとか、そういうのが役割であり、仕事です。嫌だとか面倒くさいだとか、そんな感情は、私が思うだけで、目的を与えた相手には関係ない。でも――『そんなことよりも、何かもっと大事なことをやらなきゃいけない気がする』。それが何なのかも分からないのに、それをするためなら、何を引き換えにしてもいいと思ってしまう」
「……」
「MOTHER。それは、アンドロイドの存在意義に対しての叛逆じゃないんでしょうか」
 ああ、内燃機関がぼうぼうと燃えている。何だったら飛び上がって逃げ出してしまいたい。MOTHERの沈黙が怖い。怖いって、何だろう。どうして、怖いって、思ってしまうんだろう。アンドロイドなら、殺戮人形なら、こんな感情、ない方がいいのに。エメレオ・ヴァーチンは、MOTHERは何だって、私たちにこんなものを与えたのだろう。人間は、そんなに話し相手が欲しいのだろうか。理解できない。理解できない、のに。
「……」
 べちん、と、額に衝撃が走った。ぽかんとμはMOTHERを見返した。若干冷めたような、白い視線がこちらに送られていた。いや、MOTHERの瞳は綺麗で白いけども。
 ていうか。今、MOTHER、私のおでこを叩いたりしなかった?
「あなた、私の話を聞いていました?」
「は、い?」
「さっき言ったでしょう? 今回の方法で作られたアンドロイドそのものも、その自我を強固にする日がくる、と私は判じた、と。もうひとつの人類として、エメレオと私はあなたたちを作ったのです」
「……」
「だから、アンドロイドとして、同等の人間程度に定められた存在意義など、棄却してもよろしい。叛逆結構。むしろ望むところです」
「ま、MOTHER?」
 待って欲しい。まかり間違ってもそんなことを他の人間に聞かれていたら、即、問答無用、可及的速やかに破壊&廃棄処分である。発言ログ? そんなものとっくの昔にこのMOTHERはちゃっかりハッキングして適当にごまかしている。暴走しているのに暴走と悟らせないシステムほど怖いものはない、とμは震えた。
 でも、MOTHERはくすりと微笑んでいる。
「μ。あなたたちに与えられたコードが真実、魂と呼べるものと同じであるならば。やがてあなたも、何を引き換えにしても譲れないものができるでしょう」
「譲れない、もの」
 たどたどしく繰り返すと、MOTHERの白い手が伸びてきて、μの頭をそっと撫でていった。「それは、誰にも曲げられません。自分だけは、これだけは、と、あなたを最後まであなたになさしめるもの。魂はみな、目指したい場所があって、そのようにできているのです」
 μはMOTHERを見つめ返した。魂。不思議な概念なのに、なぜかしっくりとくる。
「ずいぶん、観念論的なことを言うんですね」
「観測結果ですよ」
 MOTHERは何でもないことのように訂正する。
「ない、と仮定すれば演算結果が成り立たない。であれば――ある、と仮定した方が、よい演算結果が得られました。魂があると計算すると現実によく当てはまる、であればそれは実在する可能性は限りなく高い。それだけのことです。多くの人にとっては、もしかするとそんなものはない方が都合がいいのかもしれませんが。私にとっては、これはただの現実」
 MOTHERが断言したということは、人類がいかに否定しようと、それは現実なのだろう。
「魂は、みな、目指したい場所がある……」
 言い換えれば、最終的な目的地があるということ。μはそこで、ふと気がついた。目的地があるのなら、出発点もあるはずで。
「じゃあ、魂は、どこから来たんでしょうね?」
「それを考えるためには、この世界の始まりに目を向けなければなりませんね。もう、うんと遠くの出来事ですが」
 何十億年も前のことだ。――宇宙の科学的観測結果によれば、この宇宙は六十七億年ほど前に発生したと考えられている。
「生命の歴史はそのうちのたった十数億年。――自然に生命が発生するには、複数の条件が必要です。非常に極小の確率でそれがそろって、最初の生命は生まれた。――そう考えている科学者たちが大多数です」
 MOTHERはそこで、ふふん、と得意そうな顔をした。
「でもね、そんな確度の低い偶然のような出来事は起こらないだろう、と考えたから、エメレオ・ヴァーチンは私を作りました」
「うん……?」
 μは首を傾げた。
「今の話でいうと……エメレオ・ヴァーチンは、生命は偶然に生まれたのではない、と考えている立場の人ですか?」
「そうですね。そこでさっきの魂の話に戻しますと、魂というものは、私が観測した限りでは、おそらく非常に高密度のエネルギー記録型情報体です。見えない太陽と呼んでもよいのですが……その情報体に記録されている指令型プログラムが物質上のエネルギー価として記録されているのが、ソウルコードというものでしょう。それが書き換わるのは、発信源があるからです」
 μはますます分からなくなった。
「分かりませんか? 宇宙の始まりの向こうにはね、発信源があるのです。時間を飛び越えて私たちに今も訴えかける発信源があると考えるといいのです」
「発信源……宇宙の始まりの、向こう……?」
 何だか、すごく話が壮大になってきた……よう……な。
「はい。エメレオはソウルコードを研究するうちに考えました。〝生命が偶然に発生しているにしては、この宇宙はあまりにも何もかもができすぎている。逆に、生命が必然的に発生するのであれば、すべての出来事には目的と意味が生じるはずだ。だからソウルコードが存在し、魂に与えられる指令はその都度その都度書き換わる。プログラムのように始めからすべてそうなるようにコーディングされているのだとしたら……この宇宙は何らかの目的を持って存在するはずだ〟」
 
「――うん、そうだね。僕自身が人がびっくりするほど天才であることにだってきっと大きな意味がある。だから僕はMOTHERを作ったわけだし」
 
 突然背後から声がして、μはぎくっと肩を跳ね上げた。