一章 後ろ向きのアンドロイド-1

 
 ――赤く暗い空を見ていた。焦熱がじりじりと体の表面を撫でていた。
 崩れ去った都市。見上げるほどの瓦礫の山。足元で人々が折り重なるように倒れ、炎にまかれて苦しんでいるにも関わらず、生き残った者は茫然と己の頭上を見上げるしかなかった。
 空には巨大な人型の影があった。炎の光を浴び、血のように赤黒く浮かび上がった影は、機械的に人類を、文明を滅ぼそうとしていた。

 手にある巨大な槍は、砲塔として機能する。胸元から放たれた光は質量のある攻撃手段となって、建造物をことごとく破壊し尽くした。
 逃げなければならないのに、生きていたいならその場をすぐに離れるべきなのに、衝撃のあまり、動けなかった。
 ――世界が滅ぶとは、こういうことか。
 誰もこの滅びに抗うことはできない。思考の裏をそんな確信がよぎる。
 ふと、見上げるこちらの視線を受けて、巨人が振り返ったような気がした。
 目が合った瞬間、全身が更に強張り――。
 
 
 
「――くぉらぁ! 起きろTYPE:μミュウ! 学習訓練の時間だぞ!」
 カプセルの中で休眠状態だったμは、聴覚が捉えた声にぎくっと目を見開いた。こちらをしかめっ面でのぞき込んでいたのは同僚のアンドロイドのTYPE:λラムダだった。青いカラーリングの人工頭髪を揺らし、彼女はμが覚醒したのを確かめると破顔した。
「よし、起きたね。おはようμ。再度言うけど、学習訓練の時間だよ。ゼムが集合かけてるから、早く行こう」
「ゼムが……」
 発声機能はまだ本調子ではないようだ。掠れた声が喉から漏れた。
 μは目を半分伏せ、カプセルの中で身をよじってλから顔を隠した。
「いやだぁ……あの人の訓練は聞いているのがつらい……」
「こら……それでも戦闘型ぁ?」
「機種選定をきっと開発の人が間違えた……。人格プログラムの乱数がよくない……何度も言うけど向いてない。生まれてきたのが間違いだった。わかってる。みんな過去最大の失敗作だって頭を抱えてる」
「後ろ向きになるななるな。ほら行くわよ」
「いーやーだぁあああ……」
 しかし、無情にもカプセルの蓋は開き、λの手がμの体を引きずり出した。いやいやと形だけ駄々をこねたものの、諦めて身を起こし、床の上に降り立った。
 μが休憩をとっていたのは、斜めに傾けて設置された円筒型の休眠装置だ。同じような装置がいくつも立ち並ぶ間を、渋々λの後をついて歩いて行く。そのμの脇から、足音が近づいてきた。
「あれ、μ。まだ寝てたんだ?」
「あ、リーゼだ」
 白衣を着込んだ若い女性が近づいてきた。μたちアンドロイドの出力調整や稼働状況の管理を担当する人間だ。何かに気づいたように腕の時計で時刻を確認してから、栗色の目を瞬かせてこちらを見た。
「もう訓練始まるよ? まだ調整が済んでないの?」
「ん、それは大丈夫」
 体の調子はすべて問題ない、とμは頷いた。
「よし、いいこと聞いた。じゃあ訓練にさっさと行くとしましょうね!」
「……あ」
 λがいる前でうっかりしていた。μの愕然とした顔に、リーゼは堪えきれないといった様子で噴き出した。
 
 

 
 
「――戦闘型のアンドロイドは、戦略演算システムMOTHERの支援を受け、それぞれ独立して状況に対応するのが一人一人の役目だ。君たちが特に人体の構造を模して作られているのはなぜか。分かるかな」
 教習ルームに、教官のゼムの声が響いた。
「はい、教官。人間とバディを組んで幅広く作戦を行うためです。加えて、人間に親近感を抱かせ、円滑に兵器として運用してもらうことが副効用として挙げられます」
 あの声はTYPE:εイプシロンだな。相変わらずの優等生ぶりにそっと嫌気を抱えつつ、μはぼーっと講義を聞き流す。
「その通り。汎用型の作戦実行兵器として、人間が持ち合わせない膂力、頑丈さを重視して戦闘型アンドロイドは開発された。しかし、アンドロイドの開発は歴史的に困難を極めた。特に難航したのは独立思考型オペレーティングシステムの開発だ。例えば統計型の機械学習には大量の計算リソースを必要とするが、『限られて偏った』データハウスをベースとした再帰型思考系の確立には、応用や汎用性に問題があった。それに比べれば、冷却システム、またエネルギー供給の問題は、人間様の形態を保つこと、エネルギー源から独立して行動することの両立には厳しい壁となったが、まだ解決可能な問題だった」
ゼムの説明は続き、ルーム前方のスクリーンの資料が切り替わる。
「そこで、人類は新しいアプローチをとった。生物機械工学の応用だ。人間が最高の素材だった。人類は深層学習、ニューラルネットワークの開発思想をさらに深め、人工的に人間の脳のような、外入力と内入力によって絶えず成長する思考モデルを再現しようとした。無駄があること、一見初めは論理的でなく網羅的であることこそが遊びとなり、柔軟性と最適解を生み出す。このニューラルネットワークの設計思想に、さらに常時多様な入力を受け付ける状態を付加した。――だが、あらゆる情報に受け身になり、流されていっては意味がない。いかに思考ルーチンに志向性、主体性、一貫性を持たせるかという問題が発生する。しかも入力できる情報体験は試行回数も時間も限られている。しかしこのデータで最大の結果を得たい。どうする、λ?」
「限られた範囲内でいくつかのパラメータを変更する。ABテストを繰り返すなど、複数のパターンを同時に比較検証します。――つまり、私たちのように、あえて多様性を持たせたTYPEを複数作り出して、最も効果量が高いモデルを探します」
「いい答えだ」
 ゼムは満足そうに頷いた。
「では、我々に与えられたパラメータとは何だろうか。行動決定要因を左右するのは論理的計算だけではない。確率論だけならばいかにそれが最高の成功率であり、最適解であったとしても、最もよいと評価される結果には合致しない時がある。なぜか。――人間とは感情の生き物でもあるからだ。生物とは根源的に生存のための欲求を植え付けられて存在する。その上で社会的生物として、人間はさらに複雑な判断ルーチンを構築していた。この判断基準、反応基準はカテゴライズでき、それぞれに平均値・中央値こそあれど、厳密に精査すればするほど実に千差万別であることが分かった。認知科学者エメレオ・ヴァーチンが、『あらゆるパターンを「何者か」が試そうとしている。組み合わせ爆発が起こった結果だとしか思えない』と評したほどだ。――さて、その判断基準を決定する要因の根本的なパラメータは、長年の研究調査の結果、物理的なところではなく、奇妙なことに、遺伝子の塩基配列が保持しているエネルギー価の微妙な波形にあることが発見された。――μ。これが何と名付けられたか分かるか?」
 面倒な。そこでこちらに振るのか。聞かれて、μは半眼でゼムを見やる。手元の教本の中にあった記述と思しき部分を適当に組み合わせ、言葉に出した。
「問題の波形は、エネルギー価的には複数の帯域幅にまたがって存在しています。言ってみれば音楽の多重奏のようなものであり、一連の波形は個人の思考判断基準にフレーバーを与えるものとして、ソウルコードと呼ばれています」
「よろしい。……面倒くさがりで雑なおまえにしてはちゃんと学習してきたな、μ」
「一言多いんですけど、教官」
 μの苦い顔に、どっとルームが笑いに沸いた。
「――このソウルコードが、君たちに与えられたパラメータだ。君たちはそれゆえに、誰かの魂のコピーをもらったようなものであるから、君たちの親とは元になった遺伝子情報を提供してくれた人間のことかもしれないな。ちなみに、ソウルコードは現時点で九割九分、解読が終わっている。だが、未だ分類・解読が進んでいない未知のコードが存在する。通常、ソウルコードは個人の精神的変化、思考系の成長、後退によって頻繁に書き換えが起こる。その条件や法則性もつかめてきている。それに対して、この未解読のソウルコードの持ち主は、十万人に一人程度の確率でしか存在していない上に、判明している発火条件や法則性のいずれにも当てはまらず、書き換えも一生に一度あるかないかの頻度でしか起こらない。分かっている共通点はひとつ。このコードが発火したと思われる人物は、多かれ少なかれ、社会や歴史に大きく影響を及ぼす成果を残している、ということだ。知名度、有能さはそこに多少比例すれど、高い相関関係ではない。しかしマイナスよりはプラスと確実に判断できるだろう。ゆえに学者たちは、ソウルコード研究でも特に未踏領域とされるこのコード群を、こう呼んでいる」
 
 μは、目を大きく開いた。何があったわけでもない。ただ、全身を巡るエネルギーが励起したような感覚を覚えた。
 
「――ホワイトコード、と」
 
 

 
 
 先ほどの、頭が痛くなるようなゼムの長話について、改めて復習がてら要点を整理するとしよう。
 とりあえず、アンドロイドである自分たちは、歴史的に人類の悪戦苦闘と積み上げられた研究の末、作り上げられた存在だった。
 そして、人間のソウルコードと呼ばれる、人格、人生構成に大きく寄与するような遺伝子情報を流用して、より作戦行動に適した人格がどれか、検証実験の段階にある機体でもある。
 そのソウルコードの中でも特殊な立ち位置にある、ホワイトコード、という言葉に、μは妙に惹かれていた。
 十万人に一人程度の確率でしか存在していない、特殊なソウルコード。発火条件、法則、いずれも正体不明。書き換えも一生に一度あるかないかの頻度でしか起こらない。それは、とても神秘的な響きだ。蠱惑的な色さえ持って瞬き、μの感性に囁きかける。
「私たちのソウルコードってさ、確かブラックボックス化されてるんだよね?」
 座って話を聞くだけの苦痛の時間が終わったあと。μは考え込みながら、隣にいたλに話しかけた。
「え、よく知らないけど、そうなの?」
「ああ、それなら、教官や訓練データを用意する研究員に先入観を与えないように、ってことで、MOTHERによって暗号化されてたはずだよ?」答えたのはたまたま近くを通りがかったεだった。「というか、これについては与えられた選定基準を元に、MOTHERが遺伝子情報バンクから無作為抽出ランダムサンプリングしたって話」
「「「へー」」」
 近くにいた他のアンドロイドたちもεの答えに相づちを打つ。
「でも、ブラックボックスっていつ解除されるのさ?」
「僕たちの訓練と性能評価が終わった時だってさ。確か、十五人の役員と政府関係者が別々に解錠符号を持たされてて、それが全部そろわないといけないらしい。しかもそれも日時が指定されていて、それ以降でないと符号は表示されないんだって。無理に分解したらデータが二重にランダム符号化された上で上書き抹消されるらしいよ」
「げぇっ、厳重だねー」
「厳重すぎる気もするけど……技術情報の盗用を防ぐには複数人で監視させ合うのって、一番原始的で効果的な手段よねー……」
「それで? そのブラックボックスが開放されると?」
「うん。一番成績のよかった上位個体が数モデル選ばれて、量産段階に入るらしい」
 じゃあ、ゼム曰く、面倒くさがりで雑な自分は絶対に選出されないな。μは密かにそう確信した。MOTHERのランダムサンプリングの選出基準は、ちょっとバグがあるのかもしれない。
 εは、そこでこちらを見つめて微笑んだ。
「μは、自分のソウルコードが気になるかい?」
「え? ……ああ」
 聞かれるとは思わず、一瞬虚を突かれたものの。μは目をそらして、別に、と呟いた。
「……ただ、私たちの親みたいな、ソウルコードの提供者と、私たちの違いって何なんだろう、って思っただけ」
「哲学的な問いだな。だが根源的だ」
 εは大真面目な顔で頷いた。
「双子の話がある。全く同じ遺伝子の持ち主でも、顔つきや体つきが年を経て少しずつ違っていくように、ソウルコードは個々にして異なっていくという話だ。僕たちもそれと同じで、どんなに同じソウルコードを持っていても、それが書き換わるタイミングが元の持ち主と同じとは限らない。極論を言ってしまえば、ホワイトコードと呼ばれるぐらいの珍しいソウルコードなら、発火するかしないかだって時の運だろう。――つまり、僕たちはその時点で、同じ元から生じたけれど、違う存在になったといえるんだと思う」
「ε、すげー……」
「普通、そこまで考えないって」
「あれ、そうかな? えへへ……」
 頬を掻いているεを、じっと見上げる。
「……そっか」
 μは頷いた。そして、目を細めた。
 ――違う存在になってしまっても、コードが同じなら、この胸に去来する感情は同じなのだろうか?
 εの言うことは分かる。でも、何かが違う気がした。
「……MOTHERなら、この気持ちが分かるのかな……」