エピローグ 1

 ドリウス・シュタウツァーは傭兵だ。エントの高官に雇われた、というのは嘘ではない。シンカナウスの海洋観測基地で後ろにいた高官どもではなく、雇い主がエントの軍の上層部だった、というだけである。
 気味の悪い挙動をする割にはやけに攻撃が弱気なアンドロイド、μ(ミュウ)と、その増援の同型機で、きゃんきゃんとうるさいが凄まじく殺意の高いλ(ラムダ)。その二人との戦いから撤退してきたドリウスは、雇い主にきちんと報告と詫びを入れていた。「エメレオ・ヴァーチンの確保には失敗した。相手のアンドロイドは想像以上に高性能だった」と。
 その後、単独でお空の上を頑張って飛んでいき、領空を抜けたところで待ち受けていた輸送機に回収された。苦労して確保した隣国のテレポート・ゲートエリアの通行許可を使って、エントの出撃間近の浮遊艦隊に合流したのである。
 そこから、後方でシンカナウスへの上陸部隊の一員として、先行して空間転送されていった艦隊の行方について、遅ればせながら映像で確認したのであるが。
 結果。
「――く、クククククク……あっはっはっはっはっはっはっは……!」
 ――非常に面白い見世物だった、という感想に尽きた。革張りのソファにもたれ、仰け反って大笑いをした。
「最高だったぜ、バレット博士! なんつー大スペクタクルのコメディだ! ご自慢の兵器がドミノみたいにばたばたと海の中になぎ倒されていくなんてよォ!」
 くっくっと喉の奥で笑いを堪えながら、ドリウスは同じ部屋で憤激している男に声をかけた。
 拳を勢いよくモニターの操作パネルに叩きつけ、肩を怒らせながら、ウォルター・バレットは血走らせた目をぎょろりと動かした。
「黙れ。貴様がエメレオ・ヴァーチンを捕らえていれば、貴様にもシンカナウスのアンドロイドの機能を搭載してやるつもりでおったのだぞ」
 そう言われてもなぁ、とドリウスは肩をすくめる。
「あの科学者、一見間抜けに見えるが、相当(したた)かだぜ。TYPE:μとかいうやつも侮れねぇ。ただのアンドロイドと見くびってた俺が悪かったとしか言いようがねぇ。意味の分からねぇ機能で途中から盤面をひっくり返しに来やがった! ――ありゃあこの戦争一番のジョーカーだろうよ、俺の勘がそう言ってる!」
「……どういう意味だ」
「うまく化ければ、とんだ番狂わせをするかもしれない……そんな予感がしてるんだ、俺ァよ」
 リモコンでダイジェスト映像を巻き戻し、ドリウスは画像の中に映っているアンドロイドの横顔をニヤニヤと眺めた。単身、分厚い弾幕をものともせずに戦艦へ突貫をかけた時の彼女の鬼気迫る表情には、ドリウスの求めていた気迫が確かにあったのだ。
「イイ顔してんじゃねぇか。そうだよ、そういうのを求めてたんだよ……!」
 そのあとの、戦艦を機兵にぶつけるという突拍子もないアイデアも気に入った。咄嗟の判断だろうが、実に滅茶苦茶な戦法であり、無謀に過ぎる作戦だ。だがそれがいい。やろうと思って実際にやり遂げてしまうところも高評価だ。
 今の彼女なら、思う存分、心ゆくまで戦ってみたい。あの気迫なら、命のやりとりは最高に刺激的なものとなることだろう。
「……戦争狂いが」
 ウォルターは唾棄するように呟くと、部屋の外へと足を向ける。
「おおっとバレット博士、どちらへ?」
「αーTX3の引き上げ作業の状況を見に行く。私が調整を指揮せねばならん場所もあるからな」
 言って、スライドドアの向こうにエントの兵器開発主任の姿は消えた。
「――フーン」
 ドリウスはニヤリと笑った。足を伸ばし、ソファから反動を付け、猫のようにしなやかに身を起こして立ち上がった。笑みを隠すこともなく、廊下に出て艦内の自室に向かって歩く。
 ずいぶん苛立っているご様子だが、無理もないだろう。
「――『お気に入り』が逃げ出したんだもんなぁ?」
 部屋のキーカードをかざし、ドアがスライドした瞬間――逃げ出そうと突進してくる小柄な人間の体を難なく捕まえ、床に組み伏せた。
「あうっ!」
 床に体を打ち付け、悲鳴を上げたのは、シンカナウス人に多い赤毛に栗色の目をした、小柄な女性だった。外に出られないように下着以外の服を剥ぎ取っておいたのに、男物の服を着ているのは、ドリウスのものをあさったのだろう。まったくぶかぶかで着れていない。いじらしさと浅はかさを感じて、目を細める。
「リーデルちゃぁーん? 逃げ出しちゃあ駄目じゃないか、お外は危ないオトコたちばっかりなんだぜーぇ?」
「放してっ!」
 猫なで声であやしてやれば、か細い声でそうやって抵抗するが、元々ドリウスの機械人間としての力に対し、生身の人間として抜け出ようということはどだい無理な話であった。
「こわぁいこわぁい博士に連れ去られて、閉じ込められていた可哀想な子猫ちゃん。みゃーみゃー可哀想な声で鳴いて、艦内でシーツ一枚で涙目になってたおまえさんを、ここに庇ってやってるのは俺だぞぉ?」
「嫌よ! 捕まえたの間違いでしょ!? 誰があんたなんかの世話になるもんですか!」
「――口を閉じろよ、アバズレ。うるせえって言ってるのが分からないか?」
 低い声を落とせば、体がびくりと恐怖で強張った。可哀想に、男の怖さというものを骨の髄まで思い知らされたのだろう。ああ、なんて――悲劇的で、楽しいくらい哀れな生き物だろうか。
「あまり調子に乗るなよ? 俺だってそこまで心が広くないかもしれないぜ?」
 ぐいっと片手で持ち上げると、暗い部屋の中を突き進み、ソファの上にぼとりとリーデルの体を落とした。
 涙の膜を張っている目は、恐怖に限界まで見開かれている。くり抜いたらひどい悲鳴が聞けそうだ。何日もろくに眠っていないだろう、隈のひどい真っ白な顔にぼさぼさの髪。やつれきった体はあちこち赤くかきむしった跡がある。自分の現状に極限の恐怖を覚えたストレスからだろう。
「辛そうだなぁ。いやぁ、実に胸を打つ姿だ。そんなか弱い子猫ちゃんの体に鞭を打つなんて鬼のような真似、俺だってしたくない。でもちょっと頼み事ができちまってなぁ」
 芝居がかった声で、すっかり硬く小さく強張った彼女に語りかける。
「――なぁ、あんた。エメレオ・ヴァーチンと同じ施設で働いてたそうだよな? あっちのスーパーコンピューター、戦略演算システムの設置場所ぐらい、噂で聞いたことあるんじゃねぇの?」
 ざらりと服の上から、腹を押さえる。リーデルは見開いた瞳でドリウスを見上げてきた。まんまるな栗色の中に広がる、虚無の瞳孔。
「――それをきいて、どうするつもり。なにがのぞみなの」
「外に出たいだろ? あの好色な男から逃がしてやろうか」
 ドリウスは低く笑った。
「なに。αーTX3はあっちこっちに配備されているが、向こうの強力な兵器で一掃されたら面白くない。なら、あっちの一番の強みを潰しにかかる別働隊が編成されたっておかしかない、そういう理屈だ。上から遊撃隊としてお呼びがかかってなぁ。ああちなみに、バレット博士は破壊に反対している。人形趣味か何だか知らんが……、あいつに一矢報いるなら今なんじゃねぇか?」
「――そう……MOTHERを、こわすの……」
 リーデルはうわごとのように呟いた。しばらく静かに、虚空を見つめてぶつぶつと何事かを呟いていたが、やがてギョロリと、大きな瞳をこちらに向けた。
 狂人になりかかっている。ドリウスは唇の端に笑みを刻んだ。壊れた人間など戦場で何人も見てきた。彼女ももうすぐその仲間入りをするのだろう。
「……さくせんはいつから?」
「三日後、いや、もう日付が変わってるから、二日後かねぇ。αーTX3の引き上げと再起動はそれまでに終わるだろう。攻勢をかける中、MOTHERを破壊し、シンカナウスの政府に吠え面をかかせるところまでがワンセットだ」
「……わかった。……しっているところまでなら、あんないするわ」
「良い子だ」
 ドリウスは破顔した。
「聞き分けがいい子猫ちゃんにはご褒美をやらないとな」
 するりと手の平をリーデルの背中に回すと、彼女の瞳からは涙が溢れた。
「だいきらい」
「おお、イイ台詞だ……だがあいにく、俺は嫌がるのを見るのが大好きなんだ」
 悪いな、と。
 
 暗がりの中で、ドリウスは(わら)いながら小さな体に覆い被さった。