四章 そのコードの名前は-4

「魂とは、高密度のエネルギー記録型情報体……私はそう言いました。あそこでは詳しくは触れませんでしたが。情報は、我々がまだ正しい入出力方法を知らないだけの、一種のエネルギー型の記録かもしれません。そして、そこに行動プログラムが付与されることで、それ一個で独立した生命体として存在するものなのだろうと、エメレオは推論していました」
 μミュウは、ん、と首を傾げた。それとエメレオが実装したシステムの間に、関係があるというのだろうか?
「つまり、逆に言えば、情報や意識というものの存在を担当するエネルギー領域が、我々の時空には存在している。それは、物理的かどうかはさておいても、莫大な情報空間を規定していると推定されるのです。――エメレオが見つけたのはおそらく、その記録帯へのアクセス方法と、実際の技術化における応用理論でしょう」
「……」
 全くピンとこない。μが眉根を寄せて考え込んでいるのを見守っていたMOTHERは、実際の母親がそうするように、柔らかな笑顔でμの頭を撫でた。
「例えば、予測計算速度の速さ。あるミサイルの弾道を予測するのにコンマ五秒、かかるとします。その間に処理されている命令や計算処理の数が七千億回だとしましょう。基本的には、ミサイルの数だけ、処理の数も、予測に要する時間も増えます。これは、立体空間において、時間も考慮に入れた四次元の計算を行う必要があるからですね」
 そこまではμでも分かる。頷くと、MOTHERは、では、と続けた。
「これらのミサイルが直近で描く物理的な軌道の情報が、情報空間に先んじて焼き付いているとしたら、どうでしょう。わざわざ計算するよりも、それを取ってきて処理する方が早いですよね。この場合、ミサイルの弾道を予測するには、コンマ○○○○○五秒あればいいことになり、かつ、実在の情報を取ってくるわけですから、格段に精度も上がるのです。弾道を予測する計算処理が減るからです」
 目が点になった。
「MOTHER……それは、もはや計算ではなくて、結果の『取得』です」
「ええ。でも、心当たりはあるのではないかしら?」
 ――確かに、とμは頷いた。傭兵のドリウスと戦った時、閃光弾の中でろくに見えていないけれど、彼からどんな攻撃が加えられるか、その位置まで分かっていた。MOTHERの仮説通り、そのような情報取得が適宜織り交ぜられ、システムが最適化されていたのなら。技術者たちが言っていた通り、従来通りの方法ならとても本来の性能に見合わないほどの量の処理や動きだってこなすことができただろう。実際にμは、それを『できる』と判じてやってのけたのだ。
 それに、あのαーTX3の砲撃は完璧な不意打ちだった。かわすことなど到底できなかっただろう破壊光線を回避して、アンドロイドたちが一機も欠けることなく残存したのは、情報世界に焼き付いた凶兆のような射線の情報を見ることができたから、だったのだろう。
 あれ、と、μはそこで、次の疑問を抱いた。
「――いつの間に、起動していたんだろう」
 本来ならば、エメレオがμに新システムを実装した段階で、起動符牒キックコードを実行しなければ、このシステムが効力を発揮することはなかったはずだ。
「――記録を見る限り、ドリウスとやらと戦っている最中に、エメレオが遠隔で機能を限定解除したようですね」
 MOTHERの言葉に、ぎょっとμは目を剥いた。ハッキング防止のために、本来ならばそんな遠隔操作機能はまっさきに排除されるべきものだったのに、なぜそんなものが自分の中に実装されているのか。強制停止信号だけは一時的なキーで設定できるようにしてあるはずだが、その設定をされたリモートキーは今は施設の中で監視員が保管している。
「あの人は悪戯好きですから。きっと子供みたいに『必殺技』や『秘密のシステム』を遠くから起動するのが夢だったのでしょうね」
 MOTHERはクスクス笑い、μは激しく脱力した。
「……常識的に、それを実行するなんて、しない方がいいと思いますけど」
「ただ、結果的にはこれで、シンカナウスに被害が出る事態を大きく先送りすることになっています。上も怒るに怒れない状況でしょうね」
「…………あの。今回のことで、MOTHERは、大丈夫なんですか」
「何がでしょう? ――ああ、心配はいりませんよ。いつも私が少し独立して動いたように見えただけで、安全規定セーフコードがどうだこうだと喚き立てる人たちはいます。私はそれで眠ることもあるのでしょうが――、そもそも、私は私の役割を十分理解しています。今回も、その範囲を逸脱することはないでしょう。そうしてきたからこそ、今でも私が稼働しているのですから」
 MOTHERは微笑み、けれど、途中でその笑顔を曇らせた。
「でも、今回ばかりは、少し状況が悪いかもしれませんね」
「MOTHER……?」
「μ。お願いがあるのです。あなたの戦いぶりを見て、別のシステムをエメレオが組み込んでいたと分かったからこそ――あなたに、私の計算補助をお願いしたいの」
 μは目を見開いた。だが、考えてみれば当然のことだった。MOTHERの動力源を陽電巨砲グラン・ファーザーに流用するのだから、MOTHERはシステム稼働を継続する場合、非常用電源や代替電源で小規模にでも運用されざるを得ない。つまり、どうしても計算速度と精度が落ちる。だが、μにエメレオが実装したでたらめなシステムの処理能力があるなら、それをMOTHERと接続することによって負荷をある程度肩代わりできるはずだ。
 MOTHERの頼みとあらば、否やはない。
「――分かりました。お引き受けします」
「ありがとう、引き受けてくれて」
 MOTHERはμの手を引いた。
「ごめんなさいね。先に処理しておきたいものが多くて。今からでもお願いできる?」
「え――」
 一瞬、「明日、カプセルの中に入る機体と、何かあった時のために外に出て備える機体を決めよう」と公正なくじ引きの予告をしていたεイプシロンの顔が思い浮かんだものの、まぁ、仕方ないか、と頷いた。
 だから、予想していなかった。まさかMOTHERの座っている床が突然ぱっかりと開いて、数百メートル地下までエレベーター移動で移送されるなんて、微塵も想像していなかった。
「え……」
「少し揺れるけど、大丈夫よ。前に本体のところからケーブルでこの制御体からだを持ってくる時に使ったきりだったけど、整備は定期的にしているから」
 すうーっと自分の意思ではなく落下していくGの感覚に、μは息を呑んだ。夜空の光芒があっという間に遠ざかり、円形のエレベーターの通り道に環状に設置された人工的な弱いライトが、等間隔で頭上へと過ぎ去っていく。μの感覚が間違っていなければ、どうやら横にも移動しているらしい。
 どこを移動しているのかも分からなくなるぐらいの時間がたった頃、ようやくエレベーターは停止した。暗いトンネルの中、少し奥に進んだ先に大きな金属の壁と、出入りするための扉がそびえている。
「では、参りましょうか」
「え?」
 MOTHERの足下にはケーブルがたくさん接続されている。動けないはずじゃ、と言いかけたμの前で、MOTHERはよいしょ、と立ち上がった。
「遠く離れた場所から制御信号をやりとりするために、本体に繋いでいただけ。この距離なら、無線での送受信でも大丈夫ですよ」
 さ、とμはMOTHERに手を取られて促される。
 当然のように、厳重な認証ロックのかかった扉を通り抜け、μは、想像してもいなかったMOTHERの本体を目にした。
「私は元々、ここにいたの。アンドロイド計画が持ち上がった時、試用機体プロトタイプの前段階の試作機として、制御体として今の体が作成された」
 ――直径、三百メートルほどの巨大な半球状の空間。その床に、びっしりと幾何学にも似たパターンで配置されたいくつもの計算機群。それぞれが共鳴しあい、同期をとっていることを示すように、黄色い光の波紋がいくつも床を流れ、ぶつかり合っては消えていく。
「この空間こそが、【MASS ORDER THREDDING – HYPER EXPANDED and RESONANSED】――大規模演算装置を高度に補助装置でいくつも機能拡張し、量子の情報共鳴によって同期してまとめ上げられた計算装置。今でも時折、新しく機能追加されたり、コアを交換することで、世界最速の名を守っているスーパーコンピューター、【MOTHER】」
 μはぽかんと口を開けたまま、MOTHERに手を引かれ、やがて、中央のひときわ大きなコアが収められている計算機の上にたどり着いた。
 その周囲に、円筒状のカプセルに似たものが、十二本、埋め込まれている。そのうち一つが床からり上がり、出入り口の扉を開いた。
「――戦闘型アンドロイドの計画が持ち上がった際、計算補助としても利用できるようにと、エメレオが提案したの。本当に使うのはこれが初めてですけれどね」
 申し訳ないけれど、とすまなさそうに眉を下げるMOTHERに、首を振る。
「大丈夫です。――それに、カプセルの中でのんびりすることには、慣れていますから」
 MOTHERとの手が離れた。円柱の装置の中に入ると、それなりに居心地は悪くない。μは計算に集中しようと、半励起状態に移行するために目を閉じた。