四章 そのコードの名前は-2


 
 
 μミュウたちが這々ほうほうの体で沿岸部まで逃げてきたところで、そこは既に地獄と化していた。
 α-TX3の初撃の破壊光線はここまで届いていた。常ならば、テレポート・ゲートエリアを通過してやってきた巨大流通船を受け入れるほどの大きく美しい港町だったはずが、町並みは熱線の余波で扇状にほとんど吹き飛んでいた。いたるところから火の手が上がって黒煙をもうもうと吐き出し続け、もはや無事なところを探す方が難しい。ランドマークであっただろう大きなビルは、へしゃげて半ばから折れ溶けている。川は熱湯と化して蒸気を吹き上げ、炎上する町から逃れようとたまらず飛び込んだとみえる遺骸が、いくつもいくつもいかだのように、もがき苦しんだ跡を残して浮いていた。半狂乱になった人々が傷つき絶叫しながら、互いの家族を呼び合って探していた。倒れて動かぬ母の側で庇われ生き残った子供が泣いている。飛んできたがれきや破片で針鼠のようになった、黒焦げの親の遺体を前にして、呆然と立ち尽くす男がいた。
【……ひどい……】
 酸鼻を極める破壊の痕跡に、アンドロイドたちは絶句した。
 軍の装備を持って中空に浮かぶμたちを見つけると、誰もが呆然と見つめてきた。おまえたちというものがありながら、と、ありありとその目に恨みつらみが籠もっていた。どうして助けてくれないの、とすがる瞳は、絶望と諦めに満ちていた。
 すまない、と言うことも出来ず、μたちは追いすがる視線を振り切るように町を通り過ぎて、サエレ基地へと帰投した。
 
 精神的にひどく憔悴し、戻ってきた一同を迎えたのは、兵卒たちの恐怖と戦慄の眼差しだった。
 
「……おい……あれがそうだ」
「小隊ほどの小人数で、敵の大艦隊と互角に渡り合ったって?」
「一機も損耗しなかったらしいぞ」
「化け物……高速戦闘機と同等のアンドロイドなんざ、誰が作ったんだ……」
「あれが人間と同じ感情を持って、私たちと同じように振る舞うのか?」
「暴走しないんだよな? 俺たちが殺されるなんてことは……」
「戦艦を一人で……」
「新型兵器に真正面から普通突っ込むか? イカれている……」
 ――周りで囁かれていることはすべて事実だ。だが、これほどまでに恐れられるものなのか。μたちは少なからぬ衝撃に襲われた。
 自分たちはただ、命ぜられ、最善を尽くすために戦った。敵の凄まじい兵器の威力の前に、せめてと一矢報いた上で、辛くも残存し、敗走して戻ってきただけだった。
 守りたかったものは守れず、さらにこれから失うかもしれないと分かっている状況で、この上まだ不利な立場に追い込まれているとは思いもしなかった。
 どうして、とωオメガが項垂れ、βベータは唇を噛んだ。εイプシロンは予想していたと覚悟した目つきで前に進み、λラムダは受け入れるように瞼を閉じた。μは、顔を伏せた。
(力の限りを尽くしたのに、認められず、ただ恐怖を残しただけ……私たちは、何も結果を残せていない……)
 
「――おかえり、みんな」
 
 途方に暮れていたアンドロイドたちの前に、そう声をかけて姿を現したのは、エメレオ・ヴァーチンだった。今朝見た普段着から、軍の作業服姿に着替えている。緊急時につき、動きやすさを重視したのだろう。
「博士……」
「あの戦いに投入された新型兵器……α-TX3は、シンカナウスとエントが同盟時に協力して開発を進めていたものだ。最近、先方での開発が難航しているということで音沙汰がなかったが――裏で独自に完成させていたようだ。厄介な威力の破壊兵器も持たせるというおまけつきでね」
「戻ったか」
 話しているエメレオの隣に現れたのは、戦闘服を纏ったルプシー少将だった。その姿を認め、兵士たちは姿勢を正して敬礼する。
「――人形部隊ドールズ、ただいま帰投いたしました」
 アンドロイドたちが敬礼する中、εが報告すると、彼女は小さく頷いた。
「艦隊到着まで小隊規模でありながら決死の覚悟で空戦を行い、よく時間を稼いだ。無事任務を全うしたにも関わらず、出撃した第七艦隊が新型兵器の攻撃で一瞬で溶けた時は悪夢かと思ったが。……いや、今も悪夢だな」
 少将は疲れたように首を振った。
「――潰走もせず、よく一機も欠けずに戻ってこれたものだ。頑丈さと組織性、残存能力の評価は上げておこう」
 あれ、とμは目を瞬いた。戦闘前の刺々しい気配は少しなりを潜め、どちらかというと周りの兵卒を見る目の方が少し厳しいように見えた。
「――何だ、その目は」
「し、失礼しました。……その、当たり前のことを、こなしてきたまでのことでしたので」
「……新型兵器を前に突貫をかけた諸君らの勇気がなければ、我が国が今回の戦闘で被った損害は今以上のものであり、止まることを知らなかっただろう。その行いに敬意を表したまでのことだ」
 それに、と少将は隣のエメレオを睨みつけた。
「聞くところによると、これが買った恨みのツケを我が国は支払わされているそうだからな」
「……確かに、通信ではバレット博士と名乗ったんだね?」
「はい。エントの兵器開発主任だと……」
「…………あの人は研究者としても技術者としても素晴らしい人だった。人間的な問題で施設からはいなくなってしまったけれど、人倫を抜きにすれば凄まじい研究成果を誇っていたよ」
「……倫理観が歪んでいるとは聞き知っていたが、あの色惚けをそこまで評価するのはあなたくらいのものだぞ」
「僕は引き際というものを心得ているからね。公の部分ではちゃんと弁えていたとも」
「…………」
 裏では? と問いかけたくなったのは、きっとμだけではない。
「場所を変える。博士と代表者二人――そうだな、TYPE:ε、TYPE:μは第一会議室に。その他は装備を整え待機していろ」
 少将は言いながら踵を返した。
 他の兵たちは被害にあった地域や、他の地域の住民に対する避難誘導の準備で忙しく立ち回っている。周囲で指示を飛ばす緊迫した声が、次の戦いまで幾ばくの猶予もないことを伝えていた。
 
 
 *
 
 
「敵軍の状況については、空軍の偵察機から情報が入っております」
 重々しい空気の中、部屋に将校たちが集まり、緊急会議が始まった。別の遠隔地と接続して開催される、大規模なものである。
「緊急投入された戦闘型アンドロイド小隊、人形部隊ドールズにより、攪乱かくらんを受けた新型兵器α-TX3は、確認された十機のうち二機が破壊され、八機が小規模の破損に留まっているものの横転、沈没。現在、敵艦隊は引き上げと起立作業に追われている模様です」
「不正利用を受けたテレポート・ゲートエリアはどうなっている?」
『三十分前に通行封鎖を完了いたしました』ルプシー少将の問いに、防空システムの担当者が答えた。『また、ヴァーチン博士のご協力により、バックドア攻撃の起点を少なくとも三箇所発見。緊急アップデートにより発見された部分を修正し、その後不正利用の割り込みがなくなっていることを確認しております』
『テレポート・ゲートエリアを使い、戦力をこれ以上一気に領内に送り込まれることは防いだか……』
『だが、既にいくらか入り込まれている。あの巨大兵器のあとから、揚陸艦が数隻、テレポート・ゲートエリアを通過し、陸地に向かってきている。第七艦隊が潰された今、別の艦隊を動かしているが、早くて数日以内には侵攻が開始されるだろう。また、北方からも別の戦力が我が国に向けて進行中であるとの報告が入っている』
「問題は新型兵器の数だ。あんなものが何十機と暴れれば、今回のように市民に甚大な被害が出る恐れがある。同種の機体を運んでいる様子はあったか?」
『直接、移動したり、運ばれている様子は見受けられませんでしたが……』
「失礼。私からも補足を」
 答えを遮り、声を上げたのはエメレオだった。
「α-TX3はシンカナウスとエントが途中まで共同開発を行っていたものです。一キロ以上にも及ぶ巨大さゆえ、平時は移動は自力で行う他に、部位ごとに分解しての移動を想定している。その場合、当初の構想では、航空艦隊でピストン輸送を行えば、現地にて三日で二十機は組み上げられる想定となっていました。初期からこの構想が引き継がれているのであれば、似たような規模を展開できる可能性は高いと思われます」
 会議がざわめいた。話を聞いていたεとμは顔を強張らせた。
『――あの規模の攻撃が可能な兵器を擁した軍団を、北方と南方、二面で相手取れと』
『……少なくとも、人形部隊ドールズが仕掛けたような攪乱かくらんのためには、高速戦闘機と艦隊を最大限、運用せねばならん。制限時間もある。電撃戦を仕掛けねば厳しかろう』
『……目には目を、だ。あの規模の光線兵器を使われる前に、心臓部を撃ち抜いてしまうのが一番早い』
『――エメレオ・ヴァーチン博士』
「はい」
『確か、あなたご自慢のMOTHERシステムと、その収容施設は……非常時には巨大なエネルギー供給装置として運用できる。違いましたかな』
「その通りです。各地に張り巡らせたエネルギーポイントへの遠隔供給拠点としても運用できます」
『五十テラワートス。虎の子の陽電巨砲グラン・ファーザーを二台、起動・運用するのに必要なエネルギー量だ。供給できるか?』
『MOTHERのエネルギー供給用のテラエンジンは確か、三十テラワートスまで出力可能なはずだが、足りんな』
 エメレオはしばらく黙した。ややあって、口を開いた。
「……アンドロイドたちを供給源に流用はできます。彼らは一体あたり、一.五テラワートスの出力が可能です。MOTHERの供給量に追加すれば、五十テラワートス分を確保できるでしょう」
『では、それで行こう。ヴァーチン博士と人形部隊ドールズは速やかにエネルギー供給準備に移ってくれ』
 エメレオは一礼し、会議室を辞した。εとμもあとに続いた。
【みんな、聞こえていたね? 全員、施設へ引き返すよ】
【ぐえー】
 遠くから返事を返したのはωである。
【作戦中、ずっとカプセルに缶詰かぁ……スリープモードじゃなくて半励起状態だから、アレ、暇でしょうがないんだよねぇ……】
【文句を言うな、ω。俺たちがちょっと塩漬けになるだけで、あの嫌味なおっさんの作った兵器がただのスクラップになるんだから、楽なもんだ】
 αがωをたしなめた。
【……ただ、嫌な予感はするけどね】
【ε? どうした?】
【ごめん、何でもない……いや、やっぱり言っておこう。μ】
【ん?】
 εに呼ばれ、μは振り返る。
【カプセルに入るってことは、僕らは身動きがとれず、かなり無防備な状態になる。……教官ゼムの口癖、覚えている?】
【常に最善と最悪を想定せよ、でしょ】
 言いながら、μも言い知れぬ不安を覚えていた。
 将校から送られてくる視線の中には、嫌悪に近いものがいくつも混じっていた。人形反対派と思しき人間だけでない。会議中、アンドロイドたちの戦闘の映像を見てから、不安そうに向けられる眼差しもちらちらとあった。
【……MOTHERと君たち全員だと、目標エネルギー供給には少し余るからね】
 エメレオから通信が入り、μたちははっとエメレオを見つめた。
【万が一のことを考えて、何人かには待機状態でいられるよう、かけあっておくよ】
【博士】
【それくらいは僕にもさせておくれ。……君たちが、自分を守ろうとする意思を、僕は尊重する】
 彼は淡く微笑んだ。