四章 そのコードの名前は-1

 巨大機兵たちが十の破壊光線を放とうと光を点した時、アンドロイドたちは咄嗟に動いていた。射線はμミュウのおかげで避けられる。余波なら少しは耐えられる。ゆえに一刻も早く砲塔を破壊せんと、怒濤どとうの砲撃を浴びせた。
【【このぉおおおおっ!】】
 ――ただ、その砲撃は全長一キロを超えようかという巨体にさほどの痛痒も与えられなかった。機兵は大きな的である自覚があるのか、空母よりも遙かに強力な出力のシールドを展開する能力を持っていたらしい。その体表に叩きつけられた無数の稲妻は儚く散る運命にあった。
 ただ機兵も突っ立っているわけではない。体表から次々と射出される無数の追尾ミサイルがアンドロイドたちを追い散らした。直撃を避けこそすれ、爆発に巻き込まれてアンドロイドたちの中にもダメージを負う者が出始めた。
 勝ち筋がない。――純然と横たわる事実に、砲装を握る彼らの手からは力が抜けそうになった。
【どうする!? 止めないと被害が拡大する、するけど――!】
【抜けるか、あの装甲!?】
【無理だ! 私たちの手元にある武装じゃ歯が立たない!】
 我に返ったかのように再開された砲撃の雨の中、怒濤の勢いで言葉が交わされるのを聞きながら、μは歯噛みした。せめて戦艦がいてくれたら――!
 初手で八割削られた。いや、持って行かれた。
 戦う前から全滅した。惨敗という言葉はあまりに優しい。無残に散ったと表現してもまだ生ぬるい。先鋒に立ち、時間稼ぎをしていたはずのアンドロイド部隊は、生き残ったばかりに、突然、敗残兵の側になった。
【――エントの奴ら、イカれている! 一体でもおかしい威力の兵器を、十体だと!?】
【あんなのバカスカ撃ってみろ、国が滅ぶどころか草も生えなくなる。一面焦土になった荒れ地を手に入れたところでどうする気だ?】
【だが、止められない……!】
 戦慄しながら、ωオメガαアルファが戻ってきた。
【――撤退する。それしかない。状況が変わりすぎている】
 εイプシロンが、苦い顔で口にした。
【いいのか、ε。俺たちがいなくなったら、シンカナウス本土にあれが上陸するぞ】
【……それでも、今は止める手立てがない。時間稼ぎとはわけが違う。あれと、艦隊を敵に回すのは無理だ。別の装備が、必要だ。ここで無理に戦って、無駄に壊れても意味がない。あとのために今は退くんだ】
 理詰めで弱々しく正論を並べ、僕だって嫌だ、とεは呟いた。だがここで引き下がったとて、あの巨兵をどうにかできる手立てが本当にあるかも分からない。
【こんなに簡単に、守るべき人たちの街が、暮らしが、踏みにじられて良いわけない……!】
【…………!】
 どうする、と。μは、突然頭の中が真っ白になるのを感じた。
 今、ここで敵うわけがない。撤退するべきだ。εの言い分は正しい。でも、撤退したって状況は良くならない。シンカナウスへのエントの進撃は止まらない。止められなかった。アンドロイドたちが、戦ってどうにかできるとも思えない。
 時間だけが無情に過ぎようとした。砲塔の光はますます強くなった。
 μは混乱していた。戦う間もずっと自問していた。こんな風に戦うために、自分は生まれてきたのかと。違う、と心が悲鳴を上げた。
 守れと望まれた後ろの大地が燃えている。第七艦隊が消し飛ぶ時、小さな悲鳴が炎に飲まれる声が聞こえていた。無数の悲痛な衝撃を、μのシステムは拾い上げてしまった。
(『滅び去れ、シンカナウス。私ではなく、狂信者のエメレオ・ヴァーチンを選んだ、醜い祖国よ』)
 バレットの宣告を聞いた時、無様に逃げるだけなんて絶対に嫌だと、ずっとμに自らの存在への異議を訴え続けていた、あの白い衝動が叫んでいた。それは、あれほどμが忌避していた能動的な戦いにすら望ませるほどの強い意志だった。
 矛盾している。戦うことは、殺すこととどう違う。どうしたらいい。なりたくないものに、自らなるのか。なりたくないと願う自分を、世界は、人間は許さない。
 存在意義への叛逆は怖い。なぜ? ――壊されるのが怖いからだ。従わないことは許されない。許されないのに、嫌だと願う自分がいる。なぜ? 従うだけのものでいたくないからだ。だが、そんな自分はアンドロイドにはふさわしくない。
 まともなアンドロイドにもなれない、出来損ない。誰の役にも立てる気がしない。弱い自分が、嫌いだ。けれど、自分のこの衝動に嘘をついて逃げるのは、もっと嫌だ。なりたくない自分が、なりたい自分が、もう、分からない。
 ――怯えて迷い、泣きじゃくる心が限界を迎え、弾けた白い衝動がすべてを塗りつぶした。光がひらめくように、戦え、と心が蹴り立てられた。その瞬間、μの心は真っ白に染まった。
【ぁ……あ、あ】
【μ?】
【ああ、ああぁ……う、ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!】
【μ!?】
 突然叫喚を発したμに驚く仲間たちの元を離れ、μは単独行を敢行した。
【μ、よせ! 無茶だ!?】
【無茶じゃない!】
 μがやろうとしていることは、仲間にも伝わっている。無茶なことは分かっている。だが――関係ない。関係ないのだ。僕だって嫌だ、とεが言ったのと同じだ。ここで何もせずに逃げるより、ずっとマシだ。
【――抜けないなら、せめて、嫌がらせぐらいはさせてもらう!】
 敵艦隊の牽制の弾幕を、一陣の風になって貫通する。戦闘機が追いすがる。あえて巨兵の射線に入る。砲撃が来るまで、残り時間があるかないか。来るなら来い、と度胸試しをけしかけた。μの示した蛮勇に、砲撃に巻き込まれたくない相手は躊躇ためらうように機首を上げた。その隙を縫ってμは駆け抜け、引き離した。――駆け引きに勝った。
【μ! ――あああ、もう、ままよ! ε、私たちだって手がないんだから、あの子の案に乗っかってから逃げたって変わらないわよね!?】
【――ずるい。でも、僕の負けだよ、λラムダ。……全員、μの支援に入れ!】
【無鉄砲ものめ】
【でも、嫌いじゃない、そういうの】
 アンドロイド二十三機が、そうして遅れて行動を開始した。
 機兵が近づく。胸元から、腹から、大腿部から、大量の火器が飛んでくる。あらゆる致死の軌道を、高速機動ですれ違い、掻い潜り、時に叩き落として前進し――あまつさえ、加速する。
 特攻ではあり得ない。これは、仕事とはいえ、託されたものを守るための戦いなのだから。
 手にしていた遠距離砲装のヘッドをわざと脱落させ、エネルギーを噴出するに任せた。手動で形状制御を最大限にかけていけば、身の丈以上もあるプラズマカッターが創出される。そのまままっすぐ前へ突き出せば、砲装は巨大な矛となった。
 最大速度にして、最大硬化を重ねたアンドロイドの突撃は、狙いをあやまたず――機兵を通り過ぎ、背後にいた駆逐艦のひとつに激突した。
「ぐぁあああああ!?」
「何だ!?」
「アンドロイドだ! あの空の悪魔どもが突っ込んできたぞ!」
 遠くで悲鳴が上がるのをアンドロイドの聴力で耳にしながら、艦船内部に突入したのを確認すると、μは迷わず壁に向かって拳を振るった。あっけなく壁を化粧していたパネルは壊れ、電気回線が露出する。
 電気信号を読み取ることも、そこに信号を与えることも、アンドロイドのμにとって造作はない。そして――暗号化を解き、戦艦の操作・制御システムのロックパターンを数秒で解析、解除。制御を乗っ取り、他のシステム各所も不正な信号を送ることで破壊した。
「――防御を抜けないなら、崩すまでだ……!」
 突如、姿勢を保持していたはずの戦艦が急旋回を始めた。
「今度は何だ!?」
「おかしいです、艦長! 舵がききません……っ!?」
「何だとぉお!?」
 仰天の声の間に、戦艦はほぼ横倒しになり――制御を失って、回転しながら宙を滑るただの金属の塊と化した。
 μは最後の信号を送り――艦内に残っていた全弾すべてに対する自爆命令をセットし終えると、急いで戦艦の外装を突き破って脱出する。機兵の巨大な脚部がすぐ側まで迫っていた。
(ごめんなさい、ごめんなさい――!)
 謝りながら、μは急降下し、海面に近い低いところを鋭く飛んだ。計算が正しければ――今から始まる凶悪な嵐は、海に近い方がまだ回避できるはずだった。
 そして、指定された時間に合わせ、戦艦は一体の巨大機兵の右膝裏に激突。凄まじい爆発を起こしながら撃沈した。
 全く同じタイミングで、別の戦艦が他のアンドロイドたちの工作を受け、巨兵の右肩に正面から激突する。
 機兵は不気味な唸りを上げながら姿勢を崩した。発射された砲塔からの光線が隣の機兵を撫で上げて、見当違いの上空へと上っていく。
 直撃を食らった機兵も大爆発を引き起こし、その爆風と衝撃は周りの機兵の姿勢をさらに崩した。海面からの浮遊を制御していたのは背中と足裏だったらしく、海へと機兵の大質量が墜落するのを止められるほどの性能ではなかったようだ。すさまじい量の海水が跳ね上げられ、狙いのぶれた熱線が水に触れれば激しい水蒸気爆発が連続して巻き起こる。大瀑布が降り注ぐ混沌とした中を、μは必死に飛んで逃げ切った。
『な――何だとぉおおおおおおおおお!?』
 ウォルター・バレットの驚愕の叫びが、このせめてもの意趣返しが、ぎりぎりの成功を収めたことを意味している。
【っ――これ以上の戦果はない。撤退だ!】
 εの声に、μも他のアンドロイドも、なりふりかまわず敗走を始めた。
 背後で起きている凄まじい爆発音の連鎖に、何が起きているのか振り返るのも恐ろしくなった。