三章 人形部隊(ドールズ)-3

【――にしてもさぁ、博士、何か考え込んでなかったぁ?】
 世間話のように、目にかかった橙色の髪を払いつつ、βベータが口を尖らせた。
【んんー、犯人の人物像が読めないからなぁ】δデルタが答える。【スパイが防空システムに入るって難しいんだよ。人が制御しているわけじゃないから、特権命令でも出さない限り、申請を割り込ませるなんて、どだい無理なはずで】
【えー、ってことは開発組が犯人?】
【君もシステム部隊が怪しいって思うでしょ。でもね、博士の件でMOTHERがざっと人員に対して再調査と網をかけたそうだけど、そこからは怪しい人間は出てこなかったらしい】
【いつの間に聞いたんだよ、そんなこと】
【ちゃっかりだな、δ】
 γとφが茶々を入れると、δは眉を寄せた。
【ついさっき、MOTHERに申請入れたら教えてくれたけど】
【【MOTHER、ずっとついていきます、すごすぎます】】
【ってことは……内部の犯行じゃないってこと?】
 話を聞いていたμが口を開くと、δは頷いた。
【外部からシステムに通常の手法の範囲で不正アクセスを仕掛けるのは難しい、とシミュレートで結論が出ている。だから、どこかに何か、知られていない穴がある。――かつて内部にいて、今はいない人物が何かを仕掛けていった、とか、こっそりどこかが改ざんされている、とかね】
【何だ、裏口バックドア手法か……手に汗握るハック戦が繰り広げられたかと思ったのに】
 μは別に何があったわけでもないのに、内燃機関が一瞬空転したと感じた。人間風に言うなら『どきっとした』。そういえば昨日の夜だかに、どこかの博士にうっかり改造されたのだ。一体何を実装されたのか、未だによく分からない。何だったのだろう、あれは。
【つまり、鼠は既に船を脱したあと……ってわけだ】
【ねー、その人物ってさー……】
【最近どっかの科学者にさ、施設から懲戒解雇されてエントに流れていった奴がいなかったっけ……】
【あー、ウォルター・バレットだねー】βがくるりと顔を巡らせる。【エメレオ・ヴァーチンと戦闘型アンドロイド開発の主任を争って、別の不祥事で敗退したって人だっけー? 噂でしか知らないけど、ド変態だったってホント?】
【うむ、あのMOTHERが『詳しく調べてはいけません、目と耳が腐ります』って手厳しいお言葉を下した相手か】
【それが本当ならすべてを知ると思しきMOTHERの、あの清らかに見えるお目々とお耳が腐っているということになるのだが】
【γ、φ、おまえたちいい加減にしろ】
【【MOTHERのお目々とお耳が腐れ科学者程度の情報で穢れるわけがなかろう】】
αアルファωオメガ、相手にするな。そろそろ全員、推理の時間は終わりだ。接敵するぞ。容疑者の名前が出たところで我々のすることは変わらない。警告が通じなければ撃墜する。それだけだ】
【【【【了解、真面目イプシロン】】】】
【おまえたち、本当にあとで反省室に叩き込むぞ……】
【――熱源感知。敵艦隊と推定】
 今まで無言だったρローの告知に、全員の纏まと)う空気が、がらりと酷薄なものへと変わる。
【――高度を二千下げて展開しろ。警告後、相手の応答がない場合は太陽を背にして前衛隊は強襲をかけろ。遠距離砲装の装備者は上空から砲撃用意】
 εのよどみない指揮に従い、薄い雲の尾を引いて空を裂き、それぞれが位置についた。μも高度を下げつつ用意していた砲装を構え、チャージを始める。
 下降してきたアンドロイドたちの視力が捉えたのは、飛行する数十隻の戦艦の群れだ。一見して、かなり大規模なものであることが分かる。
『こちら人形部隊ドールズ。テレポート・ゲートエリア付近にて飛行している艦隊を発見。空母二隻、巡洋艦十五隻、駆逐艦十隻。総数二十七隻の大艦隊です』
【げーっ、どっかの何番艦隊ぐらいの規模なんだけどっ……!】
『こちら司令部。報告ご苦労。了解した。第七艦隊がそちらに向かっている。警告後は戦闘になる可能性が高い。合流まで時間を稼いでくれ』
『……了解』
 ああやっぱり。横で聞いていたアンドロイドたちは呻いた。薄々分かってはいたことだが、初陣にして最初に敵部隊と接触、および戦闘である。
【空軍の援軍はまだかぁー……】
【こっちはたったのアンドロイド二十四機なのに、ずいぶんな扱いじゃない?】
【まあ、やるしかないがな。何とかみんなで生き残ろう】
 出会う前から使い捨てとは、嫌われたものだ、とαが呟いた。始まる前から分かる。激しい空戦になるだろう。
『――テレポート・ゲートエリアを通過中の艦隊に警告する』
 εの無機質な声による通信が、空域に響いた。
『当国の許可なくゲートエリアを利用し、領内に転移することは禁じられている。速やかに転進、領空より退去されたし。従わない場合は敵対行為と見なし、攻撃を加える。繰り返す――』
【……反応なし。無視かよー】
【でも、何かさ、砲塔、こっち向いてない?】
【あ、やば……】
 アンドロイド数機とμは慌てて身を翻ひるがえ)した。数秒遅れて、赤い筋を引き連れて、凶悪な火器での攻撃が数条、隊を喰い破るように通過した。ちりっと大気が焼ける匂いに、μは顔を引きつらせた。
【攻撃してきた……っ!】
 εの顔から、さらに表情が抜け落ちた。
『――部隊への攻撃を確認した。戦意ありと見なし、これより攻撃を開始する……!』
 全機攻撃開始、と指令が下った。
【砲撃隊、構え。超遠距離砲撃――まずは前方三艦、墜とす!】
 指示と同時に、砲装を持ったアンドロイド三機が構えた。全員、エネルギーを最大充填するために全身を発光させている。
 μは歯を食いしばった。
(撃つんだ。これは戦争だ。覚悟がなくても、何でも――大義ならある……仕事だから……!)
【撃て!】
 震える指がトリガーを引いた。
 砲装が青白い光を放ち、高速の白い稲妻を射出した。雷にも似た轟音ごうおんと共に、前方に位置していた艦船が光に呑まれた。数瞬前にシールドらしきものを展開したように見えたが、コンマ数秒後、あっさりと光がシールドを食い破る。数拍おいて、爆音が空域に轟とどろ)いた。
 爆発による炎と黒煙、そして太陽を目くらましに、一気に前方のアンドロイド十四機が加速し、空振くうしんの唸りを上げて青空を駆けた。空母から戦闘機たちが慌てて飛び立ってくる。同時に、牽制とばかりにミサイルの弾幕が空に張られた。
【砲撃隊、次弾装填! 後衛組、護衛を頼むぞ!】
【【【【了解】】】】
 当然、同じところに居座るεたちではない。μも砲装をリチャージしながらεのあとに続き、鋭く空を切る。襲いくる砲撃は、護衛の機体が残像さえ残るほどの高速移動により、叩き、あるいは撃ち払う。火花と黒煙のカーテンをくぐり抜け、仲間とのやりとりで既に標的を定め終えていた三機が、再び砲装を構えた。
【撃て!】
 超遠距離砲撃――ではない。前衛が戦闘機と空中戦を仕掛ける片手間に設置した、空中ネット。指先ほどの太い針が百本単位で構築した、爆裂する網の中に、起爆エネルギーが外から打ち込まれた。
 空に昼の日光よりなお明るく、蒼白の閃光が走る。ブウンと不気味な唸り声のような音を上げて、一瞬で網の中の戦闘機が黒く融け落ちた。
【向こうの護衛が剥がれた空母を狙え! その他の前衛は相手の攪乱かくらんに務めろ!】
【――……?】
 開始数分で戦力をごっそり削られた戦艦から、半狂乱のように砲撃が飛んでくるのを、μは奇妙な感覚で眺めていた。
 遅い。どこに攻撃が飛んでくるか、簡単に予測がつく。体を木の葉さながらにひらめかせれば、止まっている木々の間を走り抜けるくらい簡単に鉄と炎の嵐をかいくぐることができた。
 あの傭兵の機械人間と戦った時は、無我夢中だった。彼の動きについていけていたのは、戦ううちに相手の癖をつかんだのだと思っていたが、違うようだ。
(もしかすると、この感覚が博士の新実装したシステム? うまくすれば、使える?)
 束の間の判断。リソースを別の計算に振り分けることにした。今の予測精度ならば、少し気を逸らしていてもどうにか避けることはできると踏んだのである。
(MOTHERの演算支援を受けて、予測軌道を全機に共有――防御、攻撃の両方を支援……できるか!? いいや、やってみせる!)
 数でいえば決して有利な状況ではない。使えるものは使わなければ、味方に被害が出る。
(セッション確立――サーバーによる送受信、演算結果を同期――よし、通った!)
【ε! みんな! これ、使って!】
【……!?】
 μから受けた予測の並外れた正確性と提案行動の確実性に、εが目を瞠った。
 また、切り込んでいった十四機からも、それぞれから驚きの声が上がる。
【何じゃこりゃー! 見える! 弾道が見える! 弾が止まって見えるぞ!?】
【相手の動きの意図が分かる……! これならまだ、楽に数をこなせるよ!】
【我々は相手をなぶりに来たのか? いいや戦いに来たはずだが】
【深く考えるな、きっと博士が何かμに爆弾を仕掛けたんだ】
 
【――μ、あんた一体どうしたの!?】
 
 隣を護衛として飛んでいたλラムダが、愕然といった様子で目を剥いてこちらを見つめてくる。
 μは目を逸らした。彼女に何と説明したら納得してもらえるのだろう。
【ωの言ったとおり、……ちょっと博士に新システムを】
【!? あんの、マッド科学者ーーーーー!!??」
 驚倒のあげく、λは叫んだ。
「なにちゃっかりうちの子を改造してくれてんのぉおおおおおお!?】
【λ、λ。我らってばみんなヴァーチン・チルドレン】
【μがうちの子なら博士はうちの人】
【あんなの他人よーーーーー!】
 ふざけんなァ! と鬼の形相でλが追尾ミサイルを振り切り、戦闘機を撃ち墜とした。明らかに先ほどまでよりも動きが良くなり、命中精度が上がっていた。
『こちら人形部隊ドールズ! 第七艦隊はまだ到着しないのですか!?』
『こちら中央司令部。あと二百秒ほどで到着する! 耐えてくれ!』
【おし! 五分切った! 気張れよ、みんなぁ!】
【空軍来るまでに終わらせられないかな、これ】
【いや無理だ。護衛艦と空母の装甲が堅い。これは抜くのに工夫がいる】
 さらなる状況の好転の兆しに、部隊が沸き立っているのをμは耳にした。
 だが――。
 
 ぞくり、と、異様な感覚が背筋を走り抜けた。
(何だ――)
 息を詰めて、μは振り向いた。
 テレポート・ゲート。唯一、空間転移船が出現しても防空網で撃墜されないと定められた空域。
 その、ただ中。
 
 ――何もない空間から、血のような色の巨大な射線が、こちらに向かって伸びているのを幻視した。
 
【――緊急。総員退避、高度三千以上上昇! 急いで!】
 全身を塗りつぶす怒濤どとうの警鐘に、反射的に叫んでいた。
 εの反応は早かった。
【!? μに従え!】
 瞬時に下された号令。全機が、戦闘機を、降り注ぐ砲弾を、ミサイルを避け、すべてへの対応をかなぐり捨て、振り切るようにして、一瞬にして指定された高度を稼ぐために上昇する。
【何か知らないが】
【とてつもなく嫌な予感だけは伝わった!】
【急げ、逃げろ!】
【何何!?】
 そして、それが運命の分かれ目だった。
 上昇したμたちは、自分たちの後方、先ほどまで保っていた高度に、待ち望んだ援軍がやってきていたことに気づいた。
『こちら、空軍第七艦隊。人形部隊ドールズへ告ぐ、今から我々も――』
『――すぐにできる限り高度を上げろ! 何か来る!』
 通信を遮って放たれたεの怒声に、咄嗟に反応できた操縦士がいたならば、それは英断だっただろう。
 果たして、何もない空の向こうから、相手は現れた。
 
 海の上にふわりと影が差した。十数秒をかけて、白い光の筋が空間の一点に向かって高速で収束していく。やがて完成した二キロ近い高さの光の円に、蜃気楼のように大きくゆらぎながら、別の景色が姿を現した。
(テレポート・ホール――!)
 戦慄しながら見守るμたちは、その向こうの、巨大な人型の影と目が合ったのを感じた。
 そして、蜃気楼の向こうから放たれたのは――極大の、すべてを焼却する劫火ごうかをもたらす砲撃だった。
 
 光が通り過ぎた。世界から色が引きちぎられ、音が吹き飛ばされた。体はよく分からないうちに烈風に大きく引っ張られ、あるいは跳ね飛ばされそうになり、慌ててその場で制動をかけねばならなかった。急激に周辺温度が上昇し、火こそつかなくとも、体表の装備の一部が焦げ、塗装が剥げた。
 
 直撃を受けず、遙かに高度をとっていたμたちでさえ、それほどの影響と衝撃を受けた。
 ましてや、まともに受けた第七艦隊は――。
 
 世界に色が戻ってきた。轟音の洪水は数秒遅れてμたちのところにやってきた。空は青かったが、後方の地上は赤かった。蒼かった海は煮え、明るいみどりへ変色していた。
 
 第七艦隊の姿はない。あとに残るは、εの声に咄嗟に従い、わけも分からず急上昇した艦船が、たった三隻残るのみ。
 ――壊滅、だった。
 
 敵も味方も愕然としたのだろう。戦場から一切の砲声が絶えていた。
 そして、完全に開いたテレポート・ホールから、災厄の権化のように、砲撃の主が姿を現した。
 長い、金属で作られた無骨な漆黒の脚が、『海の上を』踏みしめた。アンドロイドのボディから余分なパーツを取り払い、最低限の骨と骨格筋しか残さなかったとでもいうような、機械作りの巨大な黒い人型兵器が姿を現した。総長は一千メートルを優に超えるだろう。その大きさゆえに、見る者には、粗悪なロボットのような外観も仕方ないと無理矢理納得させるほどのものだ。髑髏のように不気味な頭部の中央に、赤いライトがひとつ目のようについて光り、あたりを睥睨へいげいしていた。手に握りしめているのは、巨大な砲塔を取り付けた槍のような武装であり、そこから蒸気が大量に立ち上っていた――砲撃は、あそこから放たれたのだ、と悟った。
 μは、その肩口の鎖骨のようなパーツに、型番らしき文字が描かれていたことに気がついた。
「α-TX3……」
 呟いた脳裏に、昨晩のことが思い浮かんだ。
(君たち、各国の兵器の情報はどれくらいインプットされている?)
(一通りは――)
(なら、最近この国と同盟国の間で共同開発されている、超大型兵器のことも? α-TX3のナンバリングに聞き覚えは?)
(……いいえ)
 
 μは既に見ていた。
 
 ここのところ、何度も夢に見ていた。知っていた。
 
 あれは、あの巨人のような兵器は。
「『炎に包まれた都市の中に立つ、巨大な、人型の兵器』――」
 
 あまりの威容と大量破壊兵器と言うべき砲撃の威力に、全員がなおも絶句していたところに、巨大兵器の頭蓋から通信が響いた。
 
『――こんにちは。あるいはお久しぶりといったところかな? シンカナウス、我が祖国よ』
 粘ついた、男の声だった。
『私はウォルター。ウォルター・バレット。エントの兵器開発主任。今回、特別にこの挨拶を届けさせてもらっている。何せ、最初にして最後のご挨拶だ。この言葉を聞いたあと、貴様らの国はなくなるのだから』
 その言葉の間に、一機、また一機と、テレポート・ゲートから、巨大機兵α-TX3が姿を現していく。
 そして、最後には十機の機兵が海の上に並び立った。アンドロイドたちにとっては、その光景は悪夢以外の何物でもなかった。
 
『滅び去れ、シンカナウス。私ではなく、狂信者のエメレオ・ヴァーチンを選んだ、醜い祖国よ』
 
 その言葉と共に――再び、十の槍の穂先に、灼滅の光が点った。