ホワイトコード戦記

第一篇 シンカナウスより

――なぜ自分だったのだろう、と数え切れないほど考えた。
他の誰かであればよかったのに、と何度も恐ろしさに逃げ出したくなった。
けれどきっと、幾度でもこう思い直すのだ。
それでも誰も自分からは逃げられない。この役目を例え誰かに譲れるとしても、私は嫌だと言うのだろう。

遠い昔、異なる宇宙で繁栄していた高度文明で生まれたアンドロイド、TYPE:μ(ミュウ)。その魂の持ち主は、遙かに時が流れ、この宇宙の現代で、ある存在に会うために神社を訪れる。
これは、たった一つの神との約束を果たすためだけに、数々の宇宙の滅びを見送り続けた魂が、遠く過ぎ去った戦いの日々を振り返る、追憶の物語のプロローグだ。
悪夢から覚めたアンドロイドが、やがて戦いに向かい、最初の滅びを体験する。そんな序幕の、最初の一歩。

前編

  • プロローグ

     ――なぜ自分だったのだろう、と数え切れないほど考えた。 他の誰かであればよかったのに、と何度も恐ろしさに逃げ出したくなった。 けれどきっと、幾度でもこう思い直すのだ。 それでも誰も自分からは逃げられない。この役目を例え誰かに譲れるとしても…

  • 一章 後ろ向きのアンドロイド-1

      ――赤く暗い空を見ていた。焦熱がじりじりと体の表面を撫でていた。 崩れ去った都市。見上げるほどの瓦礫の山。足元で人々が折り重なるように倒れ、炎にまかれて苦しんでいるにも関わらず、生き残った者は茫然と己の頭上を見上げるしかなかっ…

  • 一章 後ろ向きのアンドロイド-2

     λ(ラムダ)と一緒に昼のエネルギー補給を行い(といっても日光ルームで昼寝をするだけなのだが)、模擬戦訓練をいくつかこなして、その日のルーチンは終了する。 λはTYPEが連番になっていることもあり、すっかりμ(ミュウ)の姉役を気取っている。…

  • 一章 後ろ向きのアンドロイド-3

     振り向くと、セントラルルームの入り口に、人間の男が立っていた。足下からのMOTHERの光で顔がよく見えない。彼はこちらに向かって歩みを進めながら、流れるように語り出した。「もうひとつ疑問が生まれた。そんな壮大なプログラムと筋書きを作り上げ…

  • 一章 後ろ向きのアンドロイド-4

    「――サンルーフ、開けます。外に出ますよ」「うん、よろしくね」 シートベルトを外し、開け放ったルーフの間からするりと伸び上がる。 向かい風に煽られ、ばたばたと、薄茶色の人工頭髪が視界の端で揺れた。不意に警告が頭を埋め、とっさに横にのけぞると…

  • 一章 後ろ向きのアンドロイド-5

    「久しぶりだ、誰かとこうしてゆっくり食事をとるなんて」 皿の上の料理を機嫌よくつつきながら、エメレオははにかんだ。ワインもたっぷり飲んだあとなので、顔はほのかに紅潮している。「……よかったですね」 μ(ミュウ)は口の中にパンの欠片を押し込ん…

  • 二章 欠陥だらけの殺戮人形(キリングドール)-1

     翌朝μ(ミュウ)がスリープモードから復帰すると、時刻は予定していたよりまだ早い時間だった。エメレオは既に起き出して、壁掛けのテレビジョン受信機のモニターに映し出された映像に見入っている。μはさて、とネットワークにアクセスして――自分のとこ…

  • 二章 欠陥だらけの殺戮人形(キリングドール)-2

     アンドロイドにもフレーバーとしての個性はある。しかし、μ(ミュウ)たちほど癖や個性を発現したアンドロイドは他にはいないと、施設の技師たちから聞いたことがある。警護任務に着くタイプのアンドロイドは何度か学習訓練で見たことがあるものの、これほ…

  • 二章 欠陥だらけの殺戮人形(キリングドール)-3

     そして気づけば、μ(ミュウ)の目の前まで彼は肉薄していた。「っ!」 今までにない速さに、反応し切れなかった。(いや、違う) 即座に頭が否定した。(今まで、本気で動いていなかった――ッ!?) 腹に砲撃のような蹴りを受け、μはまともに吹き飛ん…

  • 二章 欠陥だらけの殺戮人形(キリングドール)-4

     動揺も収まり切らぬまま、μ(ミュウ)はドリウスに向き合った。早く、彼を倒さなければ、エメレオの身が危ない。 だが――倒すということは、殺す、ということだ。後顧の憂いを絶つのならば、ここで仕留めなければならない。 やはり、決断の時なのだ――…

  • 三章 人形部隊(ドールズ)-1

    「うわぁあああああああ!?」 エメレオ・ヴァーチンは端的に言って詰んでいた。 μ(ミュウ)をボコボコにしたと思(おぼ)しい傭兵男の鼻を明かしてやったと悦に浸る暇もなく、いるだろうと思っていた別働隊から予想外の強襲を受けていた。「MOTHER…

  • 三章 人形部隊(ドールズ)-2

     *   サエレ基地は、エメレオたちが落ち合った場所からさらに南東へ進んだ都市郊外にある陸軍基地だ。海に面していたμたちの訓練施設である研究・生産区画とは対照的に、山陰に張りつくか、あるいは息を潜めるように存在していた。…

  • 三章 人形部隊(ドールズ)-3

    【――にしてもさぁ、博士、何か考え込んでなかったぁ?】 世間話のように、目にかかった橙色の髪を払いつつ、β(ベータ)が口を尖らせた。【んんー、犯人の人物像が読めないからなぁ】δ(デルタ)が答える。【スパイが防空システムに入るって難しいんだよ…

  • 四章 そのコードの名前は-1

     巨大機兵たちが十の破壊光線を放とうと光を点した時、アンドロイドたちは咄嗟に動いていた。射線はμ(ミュウ)のおかげで避けられる。余波なら少しは耐えられる。ゆえに一刻も早く砲塔を破壊せんと、怒濤(どとう)の砲撃を浴びせた。【【このぉおおおおっ…

  • 四章 そのコードの名前は-2

    *   μ(ミュウ)たちが這々(ほうほう)の体で沿岸部まで逃げてきたところで、そこは既に地獄と化していた。 α-TX3の初撃の破壊光線はここまで届いていた。常ならば、テレポート・ゲートエリアを通過してやってきた巨大流通船…

  • 四章 そのコードの名前は-3

     アンドロイドたち全員と合流し、研究施設に戻ってくると、もう夜になっていた。μ(ミュウ)は不思議な気持ちになった。昨日から怒濤の出来事の連続だった。丸一日の間にこれほどたくさんの出来事が起きたとは到底信じられないほどに。アンドロイドとして製…

  • 四章 そのコードの名前は-4

    「魂とは、高密度のエネルギー記録型情報体……私はそう言いました。あそこでは詳しくは触れませんでしたが。情報は、我々がまだ正しい入出力方法を知らないだけの、一種のエネルギー型の記録かもしれません。そして、そこに行動プログラムが付与されることで…

  • エピローグ 1

     ドリウス・シュタウツァーは傭兵だ。エントの高官に雇われた、というのは嘘ではない。シンカナウスの海洋観測基地で後ろにいた高官どもではなく、雇い主がエントの軍の上層部だった、というだけである。 気味の悪い挙動をする割にはやけに攻撃が弱気なアン…

  • エピローグ 2

     *   システムの大半をMOTHERに割譲(かつじょう)していると、時間の感覚が薄くなる。ぼんやりとした――人間で言うなら、寝ぼけたような状態の中、μ(ミュウ)はうつらうつらとしながら、不思議な光景を眺めていた。 最初…